特集 一年間に観る試合数は400。現役時代の栄光と挫折を乗り越え、新人発掘に人生をかける男たち
プロ野球スカウト という生き方

岡林洋一(ヤクルトスカウト)
おかばやし・よういち パラグアイの日系二世。'68年生まれ。高知商から専修大へ進み、'91年にドラフト1位でヤクルトへ入団。プロ通算成績は53勝39敗、防御率3.51。写真は四国独立リーグ観戦中の様子

 有望な新人を発掘するため、各球団のスカウトは今夏も全国を飛び回っている。彼らの中には現役時代チームの主力として活躍し、栄光と挫折を味わった元選手も多い。裏方のスカウトに転身して、〝第二の野球人生〟を歩む男たちを追った。

 ヤクルトの中国・四国担当スカウト岡林洋一(44)も、かつてエースとしてチームを支えた投手だ。岡林は'91年にヤクルトへ入団すると、いきなり大車輪の働きで12勝6敗12セーブの成績を残す。翌年もローテーションの柱として15勝10敗の活躍をし、ヤクルトの14年ぶりのリーグ優勝に貢献。'95年には開幕投手を務めたが、1年目から酷使し続けた肩は、すでに悲鳴をあげていた。岡林が振り返る。

「朝起きて布団をあげることさえできないほど、肩の痛みは酷かったです。それでも、痛みさえ取れれば以前のような球が投げられるはずとリハビリに励みましたが、やはりダメだった・・・・・・。マウンドに立っても無意識のうちに肩をかばい、腕を思い切り振れなくなってしまったんです。当時の編成部長から二軍の戸田球場で衝撃的な言葉をかけられたのは、'00年のシーズン終了後でした。『来季は契約を更新しないけど、どうする?』と」

 岡林は戦力外通告を受け入れ、現役生活から足を洗った。翌年からは二軍の投手コーチを務め、球団の要請でスカウトになったのは'05年のことである。

「再びユニフォームを着たいという願望がないと言ったら、ウソになります。でも同時に、もうやり切ったという充実感もありましたし、引退するならプレーとは違う形でチームに貢献したかったので不満はありませんでした。スカウトになった時に先輩に言われたのが、『一球でも、一振りでも素晴らしいものを持っていれば、プロで通用するかもしれない。わずかな輝きも見逃すな』という言葉です。そうした視点から見つけた選手の一人が、'10年にドラフト4位で入団した投手の平井諒でした」

 平井は中学生時代からシニアで活躍し、帝京第五高(愛媛県)では2年の夏からエースとしてマウンドに立っていた。