白洲信哉 第3回 「あの生暖かい感触が忘れられない---祖母・白洲正子がベッドのなかから取り出した徳利」

島地 勝彦 プロフィール

シマジ グルマンは、ただただ大食いってことだよ。その量たるや驚きでした。ランチで中華レストランに行くと、まずイーフー麺を一杯平らげて、続けて担々麺の大盛りを流し込み、その間に、小籠包を5個つまみながら、老酒をグビグビやっていました。だから芥川賞をもらった頃の開高さんと、『オーパ!』を書いた頃の開高さんとではまるで別人です。晩年はバルザックも真っ青というくらいに膨れあがっていました。

立木 開高さんには終戦直後のトラウマがあったんじゃないか?

シマジ そうでしょう。何せイナゴを捕ってきて、羽をむしって塩焼きにして食べたと言っていましたからね。わたしも岩手の疎開先でよくイナゴの佃煮を食べたけど、結構イケますよ。いまでもときどき懐かしくなって、広尾の明治屋でイナゴの缶詰を買って食べています。

白洲 ぼくは食べたことはありませんね。

シマジ 飛び切りうまいものではありません。うるかのような珍味でもないでしょう。戦中戦後の貴重なタンパク源だったんです。

白洲 柴田錬三郎さんは食通だったのですか?

シマジ シバレン先生はもともと食が細くて、食べることへの欲望は希薄でした。岡山の瀬戸内海沿いで育ったので、よく「東京の魚は不味い」とこぼしていました。牛のステーキを好まれていましたね。

立木 今さんはどうだったの?

シマジ 大僧正は「和尚の舌」というエッセイを書いているくらいですから、食に対する欲望が人並みを外れていました。それこそ"孔雀の舌"で、「これは癌に効くんや」と言ってナメクジまで好んで召し上がっていました。