白洲信哉 第3回 「あの生暖かい感触が忘れられない---祖母・白洲正子がベッドのなかから取り出した徳利」

島地 勝彦 プロフィール

白洲 旅から帰ってきて、しばらくすると、京都の旅館などから請求書が送られてくる。しかもみんな白洲次郎宛です。「これは君が取材で京都に行った分だろう。おれが払う分ではないんじゃないか」と次郎は文句を言う。でも、激しいなすりつけあいの後、結局、「すみません。払っていただけますか」と正子は次郎に押しつけていましたね。

シマジ たとえ白洲家でも"女房の目に英雄なし"ですか。ましてや若い頃には"韋駄天のマサ"と異名を取った白洲正子ですからね。迫力が違うんでしょう。伊賀の若き陶芸家であり料理家・福森雅武さんとも、そうやって旅をするなかで知り合ったんですか。

白洲 はじめは正子の遠縁にあたる人の紹介で会ったようです。そのあと福森さんは次郎とも親しくなり、親子の契りまで交わしたそうです。無愛想な次郎が福森さんには「よしっ、わかった」と息子として認めたそうです。だから正子とも息子とお袋みたいな関係だったのでしょう。

シマジ それは信哉さんにとってもラッキーでしたね。若くして"本物"に出会えるのは人生の僥倖です。わたしも、25歳で柴田錬三郎先生に、28歳で今東光大僧正、34歳で開高健さんに邂逅しました。わたしの人生を真夏日にしてくれたのはこの3人との出会いだと確信しています。

白洲 それはシマジさんの強運ですね。

シマジ 運よく謦咳に接した白洲次郎さんには、さすがに口も手も足も出ませんでしたがね。

白洲 正子が凄いのは、最晩年、家にあった高価な陶器類をたくさん売り払って、とても珍しい、超高価な李朝の徳利を買ったときのことです。シマジさん、それをどこに置いていたと思いますか?

シマジ たぶん、その徳利を抱いて一緒に寝ていたんじゃないですか?

白洲 ご名答。よくわかりましたね。いままで、そこまで的確に当てた人はいません。シマジさん1人です。

立木 白洲正子とはレベルが違うが、浪費家同士、通じるものがあるんじゃないか。