中国の主張がそのまま載っているドイツ語版ウィキペデアに呆然! 「近くて遠い島」尖閣諸島訪問記【後編】

2012年07月13日(金) 川口マーン惠美
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「アジアの侵略者、日本」という構図

 今回の尖閣訪問の直前、一応、家族には言っておかなければと思い、これを読めば尖閣問題の要がわかる、という資料は無いかと探したら、ウィキペディアのドイツ語版に「尖閣諸島」という項があった。読んでみると、なんと、まさに中国の主張通りのことが載っていた。しかも、実に説得力のある記述で。台湾の「タ」の字も出てこない上、島の名前などはすべて最初に中国語、次に日本語という順だ。

 それによれば、尖閣諸島はすでに1372年、明王朝時代の古文書に言及されており、1534年から中国の領土として認識され、中国の沿岸防御システムに組み込まれ、それどころか、尖閣の一部の島は、当時の女帝の手によって薬草商人に貸与された、とのことだ。

 ところが日本が、1884年に尖閣諸島を発見したと主張。そして1895年、つまり、中国が日清戦争で敗北する直前に、尖閣の領有を宣言したという(日本が尖閣の領有を宣言したのは1886年、尖閣についての日本の見解は先週〈其の一〉に書いた)。

 これを読むと、やおら「アジアの侵略者、日本」の構図が浮かび上がってくる。 "日清戦争で弱体化した中国から尖閣を掠め取った日本"、私がドイツ人なら絶対にそう思うだろう。こんなもの、家族に見せるわけにはいかない。とはいえ、ドイツ人が「尖閣」という名を耳にはさんで検索するならば、まず目に入るのがこのページだ。

 ウィキペディアは誰でも書き込めるので、不正確な記述の多いことは知られているが、これを放置するのはよくない。外務省が早急に日本の見解を書きこんでくれないものか。日本がいつも悪者にされてしまうのは、外国に住んでいる者にとっては、とても悲しいことだ。

 さて、今回は思いがけない尖閣諸島訪問だったが、考えることは多かった。1943年、尖閣の島々が放棄されたのは経済的理由と言われているが、おそらく戦況の悪化による避難という意味合いも大きかったと想像する。

 長崎県の通称"軍艦島"は、鉱山の閉鎖で1974年に無人島になったが、現在廃墟になった住宅は、生活用品が放置されたまま、幽霊屋敷のようになっていると聞いた。ひょっとして、尖閣の島にも住居跡が残っているのだろうか。そして、住人が慌てて島を離れたのなら、ここにも、生活の残骸が朽ち果てたまま残されているのかもしれない。

 尖閣をめぐる闘争が、今後、どのように発展するのかはわからないが、もしも上陸できるようになったら、まず、先人の苦労を偲んで、「供養ツアー」というのをやってもいいのではないかと思う。

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