坪田知己「メディア転生」
2012年07月13日(金) 坪田 知己

元日経新聞記者が日経新聞社長の「女性スキャンダル報道」を考える。新聞は「公器」か、それとも「私器」か

upperline

 『週刊文春』7月19日号に「日経新聞社長と美人デスクのただならぬ関係」という記事が載った。一方、11日の日経朝刊はその号の広告を拒否、社会面に「本社、文藝春秋を提訴へ」という記事が載った。この問題は、新聞社というものの特殊性を考えるいい材料になっている。

新聞社は社長個人の盾になっていいのか

『週刊文春』7月19日号(7/11発売)の記事に対して「本社、文藝春秋を提訴へ」という記事が載った。日経新聞 2012年7月11日 朝刊より

 多くの読者は、週刊文春の記事に、2003年に起きた鶴田卓彦元社長の女性問題スキャンダルを思い出したのではないか。「またか」である。

 日本経済新聞社は週刊文春の記事に対し「事実無根」としているので、憶測で真偽のいずれかに加担するのはやめたい。

 この問題で、恥ずかしくてならないのは、広告拒否と「本社、文藝春秋を提訴へ」という記事の掲載だ。

 この問題は、喜多恒雄社長の個人の素行に対する問題が主軸である。「情実人事」は組織の問題だが、素行に問題がなければ、情実人事は話題にはされないだろう。

 「喜多氏、文藝春秋を提訴へ」が正しい見出しであって、日経本社が一方に加担してはならない。

 社員や役員の不祥事が起これば、上司に呼び出され、処分が検討される。ところが、「上司がいない」社長は、会社を盾にして闘おうとする。著しい公私混同だ。

 なぜ、新聞社が社長という個人の盾になるのか・・・それが問題だ。

新聞社社長は「裸の王様」になりやすい

 新聞社の社長というのは「裸の王様」になる条件を持っている。

 一般事業会社では、メインバンクが経営を監視し、社長交代を求められたりする。しかし「言論機関」という特殊性もあって、金融方面からの圧力は受けない。

 また、新聞社同士は互いの内情を知っていても、「書かない」という不文律がある。
そうした環境から、新聞社のトップは事実上の「独裁者」になる。

次ページ  新聞社は報道について「客観的…
1 2 3 次へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 RSS
関連記事


underline
アクセスランキング
1時間
24時間
トレンドウォッチ
編集部お薦め記事