マニフェストは死んだのか? 政治不信の解消のため、マニフェストも企業の財務諸表と同様に書式化・標準化すべきだ
マニフェストを掲げて政権交代を訴えた鳩山氏(2009年7月27日)〔PHOTO〕gettyimages

 与党民主党が分裂した。今週の政治ニュースはほとんど小沢氏と輿石氏の顔で占拠された。「マニフェストを守れ!」と小沢グループが叫ぶ。「これはマニフェスト違反ではない!」と野田総理がやり返す。その対立を延々と流し続けるメディア。最後にコメンテーターが決まり文句のように「政治家の皆さんには政局よりも政策をお願いしたいですね。」とため息をついて終わる。不毛だ。

 そもそも「マニフェストを守れ!」VS「これはマニフェスト違反ではない!」の対立構造自体がナンセンスであることを国民は知っている。財政合理性のまったくないマニフェストを「守れ!」というのは無責任であり、また、ことごとくマニフェスト政策を棚上げし、マニフェストに記載のない消費税法案を推し進めて、なお「マニフェスト違反ではない!」というのもピントのずれた話だ。

 事の本質は、財政合理性のまったくないマニフェストが、政権をとる可能性のある政党から堂々と出てきてしまったこと、そのようなマニフェストの財政合理性の無さをマスコミはほとんど読み解くことができずに、有権者に正しい情報を伝えるという本来の機能を果たすことができなかったこと、結果として有権者が合理的な判断をすることが難しかったことだ。

フローとストックの区別がついていない民主党のマニフェスト

 2009年民主党政権が誕生する原動力となったマニフェストを今一度見てみよう。子ども手当、農業の戸別所得補償制度、高速道路の無料化、ガソリン税の暫定税率廃止などなど16.8兆円分の政策を約束した。財源はどうするのかとの問いに当時の鳩山代表は「無駄をなくせば20兆でも30兆でも出てくる。財源の心配はしていない!」と言い切った。あれからまだ3年も経っていない。