特別読み物 7・27開幕 ロンドン五輪日本代表こうして挫折を乗り越えた!
田中理恵、内村航平、藤原新、ディーン元気、
寺川綾ほか

「練習は裏切らへん」---。ケガに泣いたあの夜、それでも少女は痛みをおしてトレーニングに打ち込んだ。一番近くで支えた家族、コーチらが述懐する—あの時の挫折が今も彼らを支えている。

収入ゼロのマラソンランナー

 ロンドン五輪開幕までまもなく。

 東京マラソンで、公務員ランナー川内優輝との直接対決を制し、男子マラソン代表となった藤原新(30歳)はこう語る。

「会社を辞めたのは、自分の頭の中にあった、『絶対勝てる練習メニュー』を試してみたかったからなんです。長距離走の練習は、レースより速いペースで走るスピード走と、スローペースで走りながら疲労を回復させるジョグという練習の組み合わせ。実業団では週に2~3回、このスピード走をします。一方、今、僕は1km3分を切るペースで20km走るスピード走を週1回行っています。これは実業団のランナーが驚くほど速くキツいペース。それ以外の日は朝60分、昼に90分のジョグをしています。辞める時は仲間たちに『何を考えているんだ』『やめとけ』と最後まで引き止められましたが、練習の質は格段に良くなっています」

 藤原は'08年北京五輪代表補欠、翌年には世界陸上代表に選ばれながら、その翌年、所属していたJR東日本を退社した。

 退社後に出場した'10年5月のオタワマラソンでの優勝が追い風となり、夏にはスポンサーがついたが、これが苦難の幕開けだった。

「'10年末頃、スポンサー企業の取引先が合併するのに併い、経理システムが変わるという理由で、資金援助がストップしたんです。半年以上、収入ゼロの生活ですよ。実業団を飛び出した身だから、一緒に練習してくれるチームを探すのは大変。自転車で伴走してくれる人がいないから、スピード走もできない。おまけに'11年7月には、足底筋膜炎で、足を地面につけることすらできなくなり、這って生活していました。ベッドでへこみながら、『実業団時代はよかったなあ』と禁断の思考に足を踏み入れそうになった。その時、『後悔したらゲームオーバーだぞ』とビビビッときたんです。慌ててリハビリ施設に予約をしました。資金は愛車を売って工面しました」

 このリハビリ中に運命の出会いがあった。フェイスブックで実業団時代に知り合った先輩ランナーを見つけ、食事をして事情を話すと「俺がサポートする」と、自転車の伴走を申し出てくれたのだ。最大の危機を乗り越え、ロンドン五輪代表という念願を果たすことができた。

「メダルを獲るとはまだ言えない。ただ、レースの後半、ドラマを作りたい。勝算はゼロじゃない。2%!68%の根拠のない自信をプラスして70%の勝算があります」