GDPを下げずにエネルギー転換ができるのか?それでも「脱原発」を目指すドイツの挑戦
2050年には再生可能エネルギーの割合を80%にするのが最終目標〔PHOTO〕gettyimages

 環境大臣が代わった途端に(環境大臣交代劇の詳細は5月25日付の本コラム参照)、突然、エネルギー政策をめぐる論争がかしましくなってきた。現在の論調は、「このままでは、計画通り脱原発が進まない。どうにかしなくては!」の一言に尽きる。非常ベルがガンガンなっている感じだ。ドイツが行おうとしているエネルギー転換の現状、つまり、今、何が問題なのかということが、ようやく赤裸々に語られ始めたのである。

 しかし不思議なのは、なぜ、今かということだ。そんなことは、この1年、最初からわかっていたはずではないか。発言していた専門家がいなかったわけではない。ネットワーク庁も警告を発していた。なのに、そういうニュースはたいてい、一生懸命探さないと見つからないほど奥まったところに隠れていたのだ。

 そして、一般で報道されていたのは希望的観測ばかり。希望的観測を広めていたのは、首になったロットゲン前環境大臣? 彼のせいで、貴重な1年の歳月が無為に過ぎてしまった? 私は、そうは思わない。

ドイツの脱原発の決定には抜かりがあった

 ドイツの脱原発は、去年の福島原発の事故のあと、あっという間に決まった。ただし、ドイツには反原発の土壌は十分にあった。なぜなら、ドイツの原発というのは、すでに40年も議論されてきたテーマだったからである。この国では、12歳以上の人間なら、必ず1度は原発の是非について考えたことがあったはずだ。だから、皆が原発について何らかの意見を持っていた。

 福島で原発事故が起こった時、気分的に、脱原発の機は十分に熟していたと言える。だからこそドイツ人は、国民だけでなく、国会議員までもが党の政略やロビーの思惑をかなぐり捨てて、嵐のように脱原発に突っ走り、ほとんど全会一致で脱原発を決めた。国民の悲願が達成されたのである。

 決定のあと、ドイツ人は幸せで、しかも、得意の絶頂だった。自分たちは、物質よりも倫理を尊ぶ民である。たとえ電気代が高くなろうが、生活が不便になろうが、貧乏になろうが、世界中で自分たちだけが正しいことをしているのだという恍惚感が高まった。あまりの一致団結に、私は少々不気味ささえ感じたほどだ。しかし、同時に、頑張ってほしいとも思った。

 しかし、脱原発の決定には抜かりがあった。原発を停止することと、電力の不足分を再生可能エネルギーで置き換えるということは決めたものの、それをどのようにして実現するかがまったく考えられていなかったのだ。

 ドイツの原発は2022年に停止の予定で、そのときまでに、再生可能エネルギーを全電力の40%にする意向。現在の再生可能エネルギーは20%で、原発も20%。つまり、原発が止まるときに、その分をそっくり再生可能エネルギーで賄おうというわけだ。そして、最終目標は、2050年に再生可能エネルギーの割合を80%にすることだ。

 あまり知られていないが、ドイツの電力は、今でも45パーセント近くが石炭・褐炭による。大気を汚し、温暖化を促進するので、減らしていきたいエネルギー源だ。45%も占めているのに、なぜかドイツ人は、石炭・褐炭は過去のものだと思い込んでいる。炭鉱の前近代的なイメージを忌み嫌っていることもあり、どんどん閉鎖されていると思っているのだ。だから、話題にも上らない。

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