アダム・スミスの「生きるヒント」 第1回
「格差を拡げる自由競争は是か非か?」

 派遣切り、所得格差拡大、ブラック企業と過労死・・・。

 近年、様々な場面で、経済自由化がなされ、同時にそれに伴う「弊害」を訴える声が大きくなっています。

 多くの場面で、「自由主義経済は、利益至上主義で弱者を切り捨てる」「人々のモラルを低下させる」と考えられています。さらに一部では、利益を追求することが「悪」であるかのような社会主義的発想すら持ち上がっています。

 そして、私利私欲を追求することを「称賛」したアダム・スミスがその元凶であり、その流れを継ぐ経済学は、血の通っていない非情な論理であるかのような言い方をされることがあります。

「経済学の父」アダム・スミス(1723-1790)

 競争や利益の追求が、いまのギスギスした社会を作り上げたのだと考えている人々も多く、それが「TPP反対」「格差是正のための税制改訂」の声に表れています。また最近では「競争に負けた子どもがかわいそう」という理由で、運動会の徒競走を、手をつないで行わせる学校もあるようです。手をつないで走れば、優劣はつかず、傷つく人がいない、という考えのようです。

 しかし、多くのビジネスパーソンが理解している通り、競争や利益の追求自体が悪いことなのではありません。競争がなければ、商品の改良は行われませんし、会社が利益を追求しなければ、仕事のスピードは相当遅くなるでしょう。その結果として、現在私たちが享受しているような「便利な社会」は、実現されなかったはずです。

 感覚としては、競争や利益の追求は必要、と理解しながらも、「なぜそう言えるのか?」「住みにくい社会をつくったのは、『競争』『利益追求』ではないのか?」と問われると、論理的な反論ができない方が多いのではないでしょうか?

 現代の経済を支えるためには、競争が不可欠です。他人・他社と競争することで、よりよいサービスが生まれ、改善が促されるのです。しかし、一般的な批判に見られるように、社会的な弊害が競争によってもたらされているような印象を受けるのもまた事実です。

 これにはどう答えるべきか?

 私利私欲の追求を「称賛」したアダム・スミスは、一方で自由競争の重要性を語りながらも、他方で別の「重要なもの」を指摘していました。その両輪がそろって、初めて社会がうまく回っていくと考えていたのです。

 感情的な「競争排除論」にまどわされず、理論的かつ冷静にものごとを考えるために、自由競争を唱えたアダム・スミスが、大事にしていた「もうひとつのこと」を理解すべきなのです。

アダム・スミスが説いた「(神の)見えざる手」とは?

「神の見えざる手」というフレーズをご存知の方は多いでしょう。「各自が利己心に基づいて行動すれば、(統制など加えなくても)自然にベストな状況になる」という意味です。

 現代では、自由主義の代名詞のように扱われています。さらに、なんでもかんでも各自が自由勝手にやれば、結局は全体最適が取れるのだ、という理屈に捉えられています。

 しかし、それはスミスの真意ではありません。「スミスの主張の一部しか理解できていない」のではなく、「スミスの主張を全く理解できていない」のです。

 アダム・スミスという人物は、現代の日本ではそれほど有名ではありません。経済学に触れた経験がある方以外には、「名前だけは知っている」という程度かもしれません。また、経済学を学んだ経験があっても、「経済学の父」「神の見えざる手」という部分的なキーワードだけで、彼のメインの主張や理念をほとんど理解されていない方も多いかもしれません。

 一部には、「スミスは自分勝手な利益追求を容認した自由放任主義者」「弱者を切り捨てる冷徹な合理主義者」という見方もされています。ところが、これは誤解です。とても大きな誤解です。

 アダム・スミスは、「自由放任」などという言葉は使っていませんし、「自分の利益のためなら、なんでもやっていい」とも言っていません。むしろ、「他人から白い目で見られるような行動をしてはいけない」「他人の足を引っ張るような競争はしてはいけない」と明記しています。

 近年、経済がグローバル化するにつれ、ますます競争が激しくなり、失業率が高まっています。また、「勝ち組」と「負け組」の差も拡大し、所得格差も問題視されています。そして、これらすべてを「倫理観がない資本主義経済」の責任とみる風潮があり、「経済学の父」であるアダム・スミスをその諸悪の根源とする見方もあります。

 アダム・スミスは、たしかに「利己主義」を容認しました。また、各自が自分の利益を追求していれば「神の見えざる手」がはたらいて、自然に社会全体がうまくまわるという見方もしていました。

 ところが、それは「自分さえよければいい」ということではありませんでした。スミスは、倫理観を前提にした自由競争を提唱していたのです。世間からも認めてもらえる方法で競争すること、自分の良心に従った正しい競争だけを認めていたのです。

 アダム・スミスの著作として有名なのは『国富論』です。ところが、これだけではスミスの真意を理解することはできません。なぜなら、この『国富論』は彼の主張の一部に過ぎなかったからです。

 アダム・スミスが何を言いたかったのかを知るには、もうひとつの大著『道徳感情論』を理解しなければいけません。こちらがスミスの「真意」「基本」、いわば前提となる考え方なのです。それを知らずして『国富論』だけ読むと、「スミスは利己主義を称賛した」という断片的な理解になってしまうのです。

 では、『道徳感情論』と『国富論』を併せて理解すると、何が見えてくるのでしょうか? それが以下の問いに対する指針です。

「経済発展は必要なのか?」
「お金があれば、幸せになれるのか?」
「何が正しくて、何が間違っているのか?」

 アダム・スミスは、どのような社会を目指していたのか? 人間とはどんな生き物だと考えていたのか? 何が善で何が悪と考えていたのか? そして、経済発展の必要性をどう考えていたのか? 

 「経済学を創った」といわれる人物が、これらの疑問に対してどう考えていたのかを知ることは、現代に生きるわたしたちにも、とても有意義なことです。

 250年前にスミスが考えぬいた哲学が、きっと現代のわたしたちに「生きるヒント」を与えてくれることと思います。

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