〈ドナドナ奪還計画〉で日本を復活させよう! 売られた子牛(あなたが諦めている夢や希望)を取り戻しませんか?

 子供の時に歌ったドナドナの歌、あまりに切なすぎて子供の時に胸がはりさけそうでした。みなさんもそう思いませんでしたか?

「あ~る~はれた~、ひ~るさがり~、こ~う~し~をのせ~てゆく~」

 牧場から子牛が売られていく悲しみを歌った作品です。ユダヤ人のセクンダさんの作曲で、作詞もユダヤ人のゼイトリンさんです。作られたのが1938年ですから、ユダヤ人が強制収容所に本格的に連れて行かれた年です。そのような背景もあり、この歌はユダヤ人に対する強制連行に対する抗議であるとも、連れ去られていく子牛が戦場に行かされる子供の比喩だとして反戦の歌だとも考えられています。

 でも、そんな背景を聞かずとも、子供の時に私はこう思いました。

「悲しすぎる。なぜこんな悲しい歌を学校でみんなと歌わねばならないのだ」

 しかし、この曲の歌詞や歌の響きはとても心に残りました。この歌は世界中で翻訳されていて、今でも多くの人が知っています。数々の童謡や歌の中にあって、80年近く歌い継がれるだけのパワーが、この曲や詩の中にはあるのでしょう。

 これは食育の歌なのだという解釈もあります。確かに、「私たちは命を奪って生きている」という現実に向き合わされる歌であることに間違いはありません。またこの歌には多くの編曲が存在します。最近でいえば、筋肉少女隊によるバージョンも。

 そして、私にはこの歌を聞いてからずっとこう思っていました。

「いつかあの子牛を取り戻したい」

損得ではなく好き嫌いが優先されるべきときもある

 私にとってあの曲はとても強烈なインパクトがありました。大きな流れには逆らえないこと、その子牛を取り返そうとしても、おそらく周囲の大人に止められて実現はかなわないこと、そもそも自分もあの奪われた子牛を食べて生きていること・・・。そういった現実に直面させられたのです。

 子牛は「いちば」へ売られていくわけですが、そもそもこの歌は私が「市場」と向き合った最初の体験なのです。ファンドマネジャーとして株式「市場」で仕事をしている私は、日々ドナドナの子牛のように捨てられた株券を拾いあげ、またある時は、私自身が市場に子牛のような株式を手放してもいます。

 そこは「好き嫌い」よりも「損得」が優先される世界です。損得を好き嫌いに優先するようになることが、ある意味で大人への階段を上ることでもあるし、まさに好むと好まざるとにかかわらず、市場の中で生きるビジネスピープルにとっては、ある時には好きな子牛を「ドナドナ」することを余儀なくされるわけです。

 そしてそれは、生きていくためには必要なことだし、責められるべきことではない。

 しかし、人生には損得ではなく好き嫌いが優先されるべきときもあります。愛する人であったり、モノであったり、自分にとっての信条や宗教なども、損得を超えるものなわけです。

 現実には恋人や結婚などを打算や損得で決めるような人も少なくないかもしれないけれど、ドナドナが胸を打つのは手放した子牛が「愛するもの」であり、「いのち」だということなのですね。

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