賢者の知恵
2012年06月23日(土) 週刊現代

人生一度きりだから、人の役に立ちたいと思った・・・
30すぎてから医者を志した人たちの「熱き物語」

週刊現代
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 音大卒の音楽教師、商社マン、TBS政治記者---。良き仲間、家族に恵まれ、社会的地位もあった。しかし彼らは、仕事を辞めて医の道へと飛び込んだ。命の現場こそが自分の居場所だと信じて。

自分だからできる医療もある

 中学・高校時代から医者を目指し、順調に大学医学部に入学して国家試験をクリアしたエリートたち---そんな医者のイメージを覆すテレビドラマ『37歳で医者になった僕』(フジテレビ系)が今、好調だ。

 主人公の紺野祐太は37歳で脱サラして医者になった異色の経歴の持ち主。彼のモデルとなったのは、ドラマの原作『研修医純情物語』の著者、川渕圭一医師(53歳)だ。現在はフリーの内科医として検診などで各地を回り、日々大勢の診察を行っている。だが、そこに至るまでの道のりは紆余曲折の連続だった。

「私の父はある有名な脳神経外科医だったのですが、私は医者になることなんて微塵も考えたことはなかった。だから大学も、東京大学の工学部に通いました。在学中まったくといっていいほど勉強をしませんでしたね。本当にやる気のない学生でした。惰性で大学院まで進みましたが、結局1日も通わずじまい。当然将来の夢もなく、2年間パチプロをやって暮らしていました。26歳の頃、そろそろ身を立てなければと就職活動を始め、とりあえず合格した商社に入社しましたが1年で退職。次に入った外資系メーカーも3年で辞め、引きこもりになってしまったんです。ただただ無気力で、1日中暗闇の中で寝っ転がり、腹が減ったら3日に一度くらい起きて近所のコンビニに行くという生活を1年続けました」

 心配した親の勧めで精神科を受診すると、「うつ病」と診断された。しかし川渕氏は、医者に処方された薬を一錠も飲まなかった。

「薬は結局、症状を抑えるだけのものです。うつ病の原因は別にあるわけだから、それを取り除かないかぎり治りませんよね。それなのに医者は『薬を飲めば治る』の一点張りで、患者そのものを見ようとはしなかった。その時、これならまだ自分が医者になったほうがマシじゃないかと思ったんです。自分なら、もっと丁寧に患者の話を聞くだろうと。それが医者になろうと思ったきっかけでしたね」

 医学部への受験勉強を始めたのは、30歳の夏のことだった。「参考書を買い込み、毎日10時間以上机に向かいました。現代国語は年相応の経験と蓄積がある分、若いころよりずっとよくわかったし、英語もそれほどハンデは感じませんでした。その代わり数学、物理、化学は徹底的にやりましたね。

 大人になってから若い子に混じって受験生をやり直すのは気恥ずかしいと言う人がいるけれど、僕の場合、一度『ゼロ』まで堕ちる経験をしていたので、人の目は全く気にならなかったなあ(笑)」

 半年間の猛勉強の末、川渕氏は京都大学医学部に合格。しかし、父のような医学界の権威になりたいとは思わなかったという。

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