先送りされた日本の交渉参加表明
政権揺るがす消費税政局、不透明な米国内の事情・・・。[TPP]

政権が不安定になる中でTPP交渉参加表明を先送りした野田佳彦首相(写真は5月11日のインタビュー)

 4月末に行われた日米首脳会談で、野田首相はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の交渉参加表明を見送った。国内での意見調整が難航していることに加え、政界では消費税増税を巡るあつれきも高まって政権基盤が不安定化しているためだ。一方、米側は自動車・郵政などで対日攻勢を強めており、今秋のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議や米大統領選を控え日米間の「すれ違い」が目立ってきた。

 TPP交渉参加を巡り、政府内では国内農業への打撃を懸念する鹿野道彦農相が慎重な姿勢を崩していない。民主党は経済連携プロジェクトチームで議論を重ねているが、推進派と慎重派で真っ二つの様相だ。自民、公明、共産、社民の各党も濃淡はあるがおおむね慎重姿勢で、全面的賛成は「みんなの党」ぐらいだ。

 この状況で交渉参加表明を強行すれば、民主党内で小沢グループなどの反主流派が勢いづき、野田政権の基盤が揺らぎかねない。野田首相が政治生命をかける消費増税実現のためにも、TPPとの二正面作戦は避けたい考えのようだ。

 TPP交渉参加の最大の関門である日米協議が進んでいないこともネックだ。野田首相が昨年11月に「交渉参加へ向け関係国との協議に入る」と表明したのを受け、米国政府は日本の参加を認めるかどうか国民にパブリック・コメントを募った。自動車・保険・農業で日本市場の「開放」を求める声が強かったとされるが、米政府による正式な意見集約はいまだに公表されていない。米側の要求が不明確なままで国内論議を進めづらいのも、野田首相が踏み込めない背景の一つだろう。

 米国内の反応は一様でない。ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラーの「ビッグ3」などで作る米国自動車政策協会は野田首相の「協議入り」表明後直ちに日本の交渉参加に反対する声明を発表し、オバマ大統領や米通商代表部(USTR)、有力議員にも書簡を送った。「日本の自動車市場は先進国で最も閉鎖的だ」という主張だ。日本は輸入自動車に関税をかけておらず、乗用車に2・5%、トラックに25%を課税している米国より開かれているはずだが、日本市場で米国車が売れていない事実が「閉鎖性」の何よりの証拠というわけだ。

 日本から米国への自動車輸出は10年に約320億ドル(1ドル=80円で換算すれば2兆5600億円)だが、米国から日本への輸入は3億8500万ドル(同308億円)に過ぎない。米国の対日貿易(物品)の赤字598億ドルの7割強を自動車が占め、労働界や政界にも不満が渦巻いている。

 日本市場の「非関税障壁」と米自動車業界が見ているのは(1)販売チャンネルがメーカーに系列化されている(2)日本独自の軽自動車規格があり税制面などで優遇されている(3)エコカー減税が米国車に不利(4)規格・認証制度・環境規制が厳し過ぎる――などとされる。

 米側は日本が一定数の米国車輸入を約束することをTPP交渉への参加条件として求めてくる可能性もある。80年代の日米自動車摩擦は日本側が対米輸出を自主規制することで決着が図られたが、今度は「毎年、何台買うと約束せよ」という手法だ。

 保険分野では、日本郵政グループのかんぽ生命が米国系保険会社の得意分野であるがん保険に進出しようとしていることが最大のネックとされてきた。米国側にしてみれば「政府出資を受け、制度上も優遇されている日本郵政グループが米国企業の縄張りに進出するのは民業圧迫だ」ということになる。

 この点については、日本郵政の斎藤次郎社長が5月8日に「当面はがん保険を売らない」と明言し、外務省や経済産業省は「TPP交渉参加への障害の一つが取り除かれた」と喜んだと伝えられている。

「共済」も矢面に立つおそれ

 ただ、米国の関心は郵政だけではなく広義の保険である「共済」も問題視しているとされる。共済は全労済(全国労働者共済生活協同組合連合会)やJA全共連(全国共済農業協同組合連合会)、生協など多くの団体が営んでいるが、根拠となる法律や監督官庁がそれぞれ違い(一般の保険業は金融庁だが、全労済は厚生労働省、JAは農林水産省など)、米業界は「競争条件が不統一だ」と批判している。

 農業では(1)コメなど重要品目の例外扱い(2)関税を段階的に減らす猶予措置(3)輸入量が急増した場合に一時的に輸入を制限するセーフガード---などが日本側の関心事だが、米国側が関税撤廃と並んで求めているのは米国産牛肉に日本が課している輸入条件だ。

 日本は現在、生後20カ月以下の牛の肉に限って米国産牛肉の輸入を認めているが、米国は以前から月齢制限の撤廃を求めており、TPP問題を好機に従来の主張を持ち出してきた格好だ。世界的にBSE(牛海綿状脳症)感染源となる肉骨粉飼料の規制が強化され感染例の報告も減る中、日本政府は「30カ月以下」への緩和を検討しているが、消費者の関心が高い問題だけに性急な結論は出しにくい。

 国内論議の前提となる情報も不足気味だ。TPPはWTO(世界貿易機関)や他の経済連携協定(EPA)と違い、徹底した秘密交渉である点が特徴。交渉中の米国など9カ国も交渉の内容や経緯を公表しないルールがあり、協定締結後も一定期間は守秘が求められる。このため「国民皆保険制度が崩壊する」(日本医師会)、「残留農薬規制の緩和や遺伝子組み換え食品の表示義務撤廃を迫られ、食の安全が脅かされる」(消費者団体)といった懸念が消えず「心配は無用」とする政府側の説明も十分な説得力を欠いている。

 TPP参加のメリットも明確ではない。経済界は「TPPに参加すれば工業製品の対米輸出が増え、先行する韓国企業に巻き返しを図れる」と主張するが、米自動車業界の反応が示すように、米国がどこまで「身を切る」覚悟があるのかは未知数だ。11月の米大統領選を控え、経済界や労働界の圧力、発言力は高まっている。

 TPP協定案の大枠は早ければ今年9月のAPEC首脳会議までに固まるとみられるが、日本の交渉参加を米議会が認めるには3カ月間の審議が必要だ。交渉参加が決まるころには実質的に交渉の余地がなくなっており、出来上がった案に「イエスかノーか」を突きつけられる形になりかねない。

 5月12日に開かれた日中韓経済貿易相会合では、日本にとってTPPより経済効果が大きいとされる日中韓FTA(自由貿易協定)の年内交渉入りも決まったが、中国市場を巡る日韓の利益相反が鮮明になる中、その行方は不透明だ。日豪、日加、日欧などさまざまな経済連携の模索が続く中、不安定な政情も足かせとなって野田政権の通商戦略は混迷を深めている。

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