ドイツ
NATOのアフガン撤退作戦は早くも八方塞がり。懲りない面々に口を出せない日本はまたしてもお金を出す?
アフガン撤退問題が話し合われたシカゴでのNATOサミット〔PHOTO〕gettyimages

 5月20日、21日、シカゴでNATO(北大西洋条約機構)のサミットが開かれた。直前にアメリカ大統領の別荘、キャンプ・デーヴィッドで主要国首脳会議G8サミットが開かれており、NATO加盟国の首脳たちはそこからそのままシカゴへ移動したのだが、あまり実効性のないお祭りになってしまっているG8サミットに比べて、NATOサミットのほうは真剣度がだいぶ違う。今回も国防大臣はもとより、首脳、外務大臣、EUの重要人物が勢ぞろい。重要案件の1つが、NATO軍のアフガニスタンからの撤収だった。

 アメリカとイギリスがアフガニスタンへの攻撃を開始したのは2001年10月。9月11日のアメリカ同時多発テロから1ヵ月も経たないころだった。当時、タリバンがアフガニスタンの9割方を実効支配していたが、米英軍はこれを速やかに駆逐し、12月には現・アフガニスタン大統領のハーミド・カルザイを議長とする暫定政府を成立させた。これが、現在のアフガニスタン・イスラム共和国につながっている。

 ただ、これでタリバン及びアフガニスタン問題が解決するというのは、甘い考えだった。以来10年以上、現在に至るまで、紛争は泥沼の様相を刻々と強めている。戦っているのは、ISAF(国際治安支援部隊)で、NATOを中心とした多国籍軍だ。日本は協力国として財政支援を行っている。お金は出すけど口は出さない、いつものパターンだ。そして、日本が財政支援をしていることを欧米の国民が誰も知らないというのも毎度のこと。

 それはそうと、タリバンやアル・カイーダの目には西側の操り人形にしか見えないはずのカルザイ大統領が、今まで暗殺もされずに生き長らえていることは、奇跡に近いのではないか。

人間は歴史から何も学ばない

 アフガニスタンでは、昔から紛争が絶えない。しかも、ちょっかいを出す欧米諸国が決まって泥沼に引きずり込まれるという凄まじい国だ。第1次アフガン戦争は1838年に遡る。ロシア帝国の中央アジアへの進出に伴い、ロシアがインドにまで触手を伸ばすことを警戒したイギリス帝国が、先手を打って始めた戦争だ。中央アジアをめぐってロシア帝国とイギリス帝国が覇権争い(the Great Game)をしており、イギリスはアフガニスタンをロシアの南下を防ぐ緩衝地帯にしようと思ったのである。

 はじめは攻勢だったイギリス軍(正確にはイギリス東インド会社軍)は、アフガニスタンに傀儡政権を樹立する。しかし、アフガン勢力の抵抗、とりわけゲリラ攻撃に悩まされるところが、まさに現在のNATO軍と同じ。結局、どうしようもなくなったイギリス軍は撤退を決めるが、雪と寒さに阻まれながら剣呑な高地を引き上げる最中、執拗な攻撃を受け、兵士とシェルパ1万6千人が全滅した。

 それから40年後の1878年、再びロシアとの覇権争いが原因で、イギリスはアフガニスタンに宣戦布告。当初は優勢だったイギリス軍だが、またもやゲリラ攻撃にやられ、ほうほうの体で退散する。ときは1881年。イギリスはやっとのことでアフガニスタンを保護国としたが、やはりこのときも、アフガニスタンを第2のインドにすることは、叶わぬ夢で終わった。

 次の紛争は1919年。イギリスが第1次世界大戦で疲弊したのを見たアフガニスタンが、パキスタン国境のカイバル峠より、インドに攻め込んだ。カイバル峠というのは、高山に囲まれたこの地帯で、ヨーロッパとインドを繋ぐ数少ない進入路の1つだ。これが第3次アフガニスタン戦争だが、戦線は20日も経たないうちに膠着。休戦後に結ばれた条約で、アフガニスタンは念願の独立を果たし、王国となった。結局、イギリスは3度派兵したものの、大火傷を負っただけで、得た物は何もなかった。

 その次の紛争は1978年、罠に落ちたのはソ連だ。同年、アフガニスタンに共産党政権が成立するのだが、それに対して国内のムジャヒディーンという武装イスラム勢力が蜂起する。タリバンの前身のような過激グループだ。怖気づいた共産党政権は、翌年ソ連に援軍を要請するが、ソ連は軍事介入のついでに、無能な大統領を暗殺し、その首をすげ替えてしまう。ソ連にとって、アフガニスタンは未だに重要な要衝であり、管理を可能にしたかったのである。これにより、当然のことながら、ムジャヒディーンの敵はソ連となった。

 ちなみに、このソ連の介入に抗議して、翌80年のモスクワオリンピックでは、アメリカ主導の下、西側諸国のボイコットが相次いだ(日本の選手団も、涙をのんで参加を断念)。アメリカは当時、こっそりムジャヒディーンに活動資金を提供していたというから、ソ連憎しのあまり、のちに宿敵となるイスラム過激勢力を支援していたことになる。

 さて、ソ連とムジャヒディーンの戦いは、やはり泥沼化。半年で撤退するつもりだったソ連は、17万5千人という膨大な人員をつぎ込んだ挙句、ようやく抜け出せたのが10年後の1989年だ。かつてのイギリスと同じく、大火傷を負ったばかりでなく、この莫大な戦費が国家財政を圧迫し、ソ連崩壊を早めたとも言われている。戦死者1万5千人、負傷者7万5千人。アフガン側の死者は、ソ連の百倍だそうだが、確証はない。

 そして2001年、このような前例があるにもかかわらず、アメリカは多くの国を巻き込んで、アフガニスタンへの攻撃を開始したのである。そして今、どうやって抜け出そうかと、皆で頭を抱えている。タリバンは、かつてのムジャヒディーンと同じく、相変わらず「ジハード」(聖戦)を唱えて、勇猛にゲリラ活動に励んでいる。足を踏み入れたが最後、抜けられなくなるのも昔と同じ。人間が歴史から何も学ばないところも、昔と変わらない。

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