「知名度」や「肩書き」を盲信してはいけない! これから読者や視聴者に求められるのは、情報を「選ぶ力」だ

 週刊現代6月2日号のコラム「ジャーナリストの目」で、青木理氏が書いた「CMに喜んで出演する『評論家』や『有識者』 彼らには恥も外聞もないのか」が目を引いた。

 青木氏の記事は、メディアのことを知らない人が読んでも分かりやすくまとめられ、今のメディアの「病巣」の一部を浮き彫りにしている点でも秀逸で、筆者が問題提起しようと思っていたことと近い。

 そのコラムの内容を要約すると、こうなる。

 電力会社のCMに出ていた経済評論家が討論番組で「放射性物質が実際より怖いと思われていることに問題がある」と発言したり、その評論家がメーカーからタダで提供された電気自動車に乗って体験PRを書いたりしていることを事例に挙げ、こういう人は「評論家」ではなく「宣伝屋」だと思うと記している。この評論家だけではなく、ニュースキャスターがCMに出る話などを例示し、公正な立場で事実を伝え、論評すべきジャーナリストや評論家がCM出演で利益を売るのは、「利益相反」に近いのではないかとも断じている。

 「宣伝屋」として使われる方にも問題があるが、そうした人材を安易に起用する広告代理店やスポンサー企業の考えの方が大きな問題で、「記事」と「広告」の見境がつかなくなり始めていることを象徴している事例の一つではないかと筆者は思う。

 現に最終消費財を扱う企業の中には、カリスマブロガーに金を渡して、自社製品をPRしてもらっているところもあるという。これも時代にマッチした立派な宣伝戦略と言われればそれまでだが、そのブロガーは企業からお金をもらっていることを読者に開示してブログを書いているわけではない。そのブロガーが書いている内容に客観性が担保されているのかは疑わしいと言わざるを得ない。

 特に核家族化により、赤ちゃんの育て方をよく知らない若いお母さんが増えており、こうしたユーザー向けに育児のプロがブログを書けば関連商品の人気が高まると聞いたことがある。育児関連の消費財を作るメーカーが陰でその育児のカリスマブロガーに広告費を渡せば、そのブロガーは製品の使い勝手などの商品性を是々非々で論じることはおそらくできないだろう。

 そもそも個人の感想や意見であるブログに客観性を担保する必要性があるのかという見方もあろうが、多くの読者は一般的にカリスマブロガーが書けば、その内容を信じ、共感を持ってしまう。そこが企業の狙い目でもある。

情報には「選ぶ目」をもって接する

 ここで筆者が言いたいことは、情報を「選ぶ力」がますます重要になっているということだ。自分がお金を払って得る情報と、ただで得られる情報は何が違うのか、記事と広告はどう違うのかといったことなど基本的なことを小学生の頃から躾的に教えることが重要になっているのではないかと思う。

 企業から資金が出ているブログがあることや「記事風広告」なるものが存在していることも知らしめるべきだ。ジャーナリスティックな視点を持ち客観的な記事を作るためにどのようなコストがかかっているのかもメディア側が読者や視聴者に丁寧に開示し、応分の負担をしていただく意味合いを理解していただくことも大切だ。

 情報を取捨選択し、自分の行動判断に結び付ける能力を持つことは、民主主義の機能を支える基本能力の一つだと言えるだろう。特にネット社会になって様々な情報が氾濫している今だからこそ「選ぶ力」が重要だ。逆にジャーナリズムは、有権者や消費者に判断材料を提供するような記事を書くことにもっと力を入れるべきだろう。

 青木氏が掲げる事例は、経済評論家やキャスターが中心だが、大学教授や経営コンサルタントの著作物についても、「選ぶ目」をもって接した方がいいと筆者は常々感じている。いくら著名な人の著作物であってもそうだ。

 原発問題絡みでは電力業界から研究費を得ている大学教授がいることは周知の事実となった。こうした教授がいくら中立性を主張してももはや誰も信じないだろう。大事件や大事故といった大きなトラブルが起きれば、こうした癒着の問題は暴露されるケースが多いが、衆目が集まらない平時でも癒着はある。電力関係以外でも、「金融系の学会の中には関連する業界団体が学会開催に関する諸費用を持つケースがある」(公立大学教授)という。

 こうした学会に所属する学者が金融政策に影響を与えることもあろう。時には業界の代弁者になっているケースもあるのではないか。もちろんすべての学会や大学教授がこうした支援を受けているわけではないが、著名な大学教授の発言や著作だからといって、盲信的に受け入れることは考えものなのだ。

 最近は、ハウツー系から学術系まであらゆる領域で経営コンサルタントが書く本が増えた。一般論として、経営コンサルはクライアントと契約し、知識やノウハウを提供する対価としてお金を得ている。守秘義務契約を交わし、クライアントの情報は外に流せないケースが多い。だからクライアントも腹を割って抱える課題などを洗いざらい伝える。それを後に普遍化して、いわゆる経営本として著す。

 筆者もよく買って読む方だが、経営コンサルは学歴が非常に高くてクレバーな人が多く、実務を知ったうえで書くので、よくまとまったものが多い。日本語に英単語を織り交ぜながらの書籍もあり、英語の復習にもなる。筆者は「アドホック(一時的な)」という英単語の意味を忘れてしまっていたが、コンサル本に「アドホックな関係」と書いているのを読んでその意味をやっと思い出した。

 しかし、その反面、企業の栄枯盛衰を論じるうえで欠かせないテーマ、たとえば同族企業あれば骨肉の争いがあったとか、有力会長の独裁による好き嫌い人事で有能な人材が排除されたといったような血なまぐさい話は決して書かれていない。だから、よくまとまっていて勉強にはなるが、これを読んでどこまで経営の本質論に迫れるかといつも感じてしまう。言ってしまえば、こうしたコンサル本は、自分の営業のための本ではないかと。

 そして読者が最も知っておくべき点は、コンサルは取材・調査の対象から直接お金をもらっているということではないだろうか。こういう意味では、書かれている内容のレベルは別としても、企業から資金や便宜供与を受けて書かれているブログと同じ範疇に入るのではないかと筆者は考える。

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