「東通」と「大飯」はまったくの別物だ! 安易な臨時再稼働を唱えた橋下発言の罪深さとは
再稼動問題に揺れる関西電力の大飯原発〔PHOTO〕gettyimages

「夏の電力需要のピークをしのぐためだけの臨時の動かし方もあるのではないか」

 関西電力大飯原子力発電所3、4号機の再稼働問題を巡って、5月20日開催の関西広域連合委員会で、橋下徹大阪市長が発したひと言が波紋を呼んでいる。

 「原発臨時稼働」論自体は、筆者が早くから主張しているものだ。4月3日付のコラム「明暗! 最悪事故の『福島』と避難所『女川』 復興に不可欠な『東通』のルーツを現地取材」をはじめ、本サイトでも繰り返し述べてきた。

 しかし、短慮としか言いようのない橋下氏の発言が筆者の主張と同じ趣旨と受け止められるとすれば、これほど残念なことはない。

 というのは、関電「大飯」と東北電力「東通」では状況がまったく異なっているからだ。東通が臨時稼働に必要な厳しい条件を満たしており、再稼働すべき原発なのに対して、大飯はそうした状態にないからだ。

 このため、橋下発言を、現実的な問題の解決策とする見方には反対だ。東京電力の「福島第一」の悲劇を繰り返さないためにも、大飯の再稼働問題には慎重に対応すべきである

大震災を無傷で切り抜けた東通原発

 未明に、下北半島が震度5強の地震に襲われた先週24日を挟んだ3日間。筆者はその地を視察に訪れていた。青森は福井と並ぶ原子力基地であり、原子力施設とそれらを取り巻く現地の環境を自分の目と耳で確認しておきたかったのだ。

 今回の視察では、東京・羽田空港を23日朝に出発。厳しいヤマセ(偏西風)に吹かれて、冬物の背広が手放せない三沢空港で、まずレンタカーを借りた。冷たい雨が降りしきる中、荒涼とした原野を海岸沿いに2時間ほど北上し、険しい岩壁の上に灯台が立つ物見崎を経て、ようやく辿り着いたのが東北電力の東通原発だった。

 イワナ、ヤマメ釣りでも知られる老部川(おいっぺがわ)にかかる橋を渡った途端、道が大きく左にう回して、道路が広く立派になり、原発に近付いたことが推察された。

 あらかじめ下調べをしていたものの、本州最北端の下北半島に位置する東通村は年間の平均気温が10度に満たない。稲作などの農業が育たない土地柄であることを、この日のヤマセの襲来に改めて実感した。

 古くから基幹産業と言えば、漁業ぐらいしか存在せず、集落は点在する程度。東通村は明治22年(1889年)に村として発足したものの、当時は財政的にも貧しかったのだろう。役場の庁舎を隣接する田名部町(現むつ市)に置くような状況だった。現在の立派な庁舎に移転できたのは、100年を経た昭和63年(1988年)のことだった。

 今年4月末現在の村の人口は7,204人。2年前の統計になるが、就業者は3,599人だ。東通原発では、東北電力の社員が275人、協力会社の従業員が540人、合計で815人が働いているという。村全体の雇用の4分の1を東通原発が占めている計算だ。

 ここで触れておきたいのは、昨年の東日本大震災で、東北電力の原発の頑丈さが目立ったことだ。

 あの震災では、東北、関東地方にある3社(東北電力、東京電力、日本原子力発電)の5つの原発(東通、女川、福島第一、福島第二、東海第二)が被災し、東電の福島第一が未曾有の大事故を起こした。同じく東電の福島第二、日本原電の東海第二の2つも、そろって非常用電源が津波に呑まれ、事故対応に苦戦。ひと安心できる冷温停止の確立までに、3日の時間を要した。

 これらの原発と対象的に、東北電では、女川が3基揃って半日以内に冷温停止を達成、定期点検中だった東通はボヤひとつ起こさず無傷で切り抜けた。にもかかわらず、大飯と違って、原子炉が福島第一と同じタイプ(BWR型)であるとの理由で、原子力安全・保安院に再開手続きを拒否され、再稼働のめどがまったく立っていない。

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