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こんな生き方もある 立川志の春 人生は一度きりだから「イェール大卒、三井物産経由、落語家行き」

 ある日、突然気づく。オレがやりたかったのはこれじゃないかと。何もかも捨てて飛び込んだその世界は人生経験や学歴など役に立たないどころか、邪魔だった。

会社を辞めて入門しよう

 あれは、まさに天啓というべきものだったと思います。今から10年半前の'01年11月、三井物産の商社マンで当時25歳だった私は、交際していた彼女と一緒に巣鴨の商店街を歩いていました。巣鴨は当時彼女が住んでいた街。その日は休日で、美味しいと評判の餃子屋さんに向かっていたときに、ふと目にしたのが「立川志の輔落語会」の幟旗でした。

 当日券あり。そう書いてあるのを見て、ふらりと入ってみました。それまで一度もナマで落語を聞いたことがなく、テレビで放送していても聞き流す程度。そんなファン以前の人間だった私が、数時間後にはあまりの衝撃に茫然としていました。笑いあり、涙あり。そして、志の輔師匠の語りとともに、登場人物たちがまるで目の前にいるかのように、頭の中で生き生きと躍動するのです。

 以来、寝ても覚めても、考えるのは落語のことばかり。DVDやカセットテープを買い込んだのはもちろん、師匠の高座があると知れば、矢も楯もたまらず駆けつけました。そして、聴けば聴くほど、落語にのめり込んでいったのです。

 自分の人生を賭けるものは、これしかない。会社を辞めて入門しよう。そう決意を固めたのは、翌年の春のことでした---。

 三井物産に入社したのは'99年の春、その前の4年間は米国のイェール大学で学んでいました。

 海外生活はこれが初めてではなく、小学校3年生から3年間は、住友生命に勤めていた父の転勤でニューヨークに住んでいました。通っていた小学校は、ほぼ全員が地元の子。チンプンカンプンだった英語にも半年ほどで慣れ、たくさん友達ができました。そんな体験から、高校生になったあたりで「大学は米国に行きたい」と思い始めたのです。

 私が受験した大学は、全部で9校です。米国の大学入試は日本とは違って、一発試験ではなく、高校在学中の成績や小論文などが大きな比重を占めます。だから、とにかく学校が課す学科試験を重視して、成績をキープするようにしました。

 受験結果は5勝2敗の2補欠。第一志望のハーバード大は落ちましたが、第二志望のイェール大には合格しました。イェール大の学費は、寄宿料(※全寮制のため)も含めると、日本の地方出身の私大生にかかる学費プラス下宿代と同じくらい。ベラボウに高いわけではないのですが、両親がよくぞ許してくれたものと、本当に感謝しています。