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「創業100年企業の血脈」
第五回 日活「倒産危機を救った元ホテルマン社長の奇策」

日活の経営を立て直した堀久作。ワンマン経営を行い、長男の雅彦も同社の社長を務めた

 短期集中連載 今年、創業100周年を迎える日本を代表する企業。現在、苦境に喘ぐものも多いが、日本経済を牽引してきた名門企業の原点を振り返った

『太陽の季節』『キューポラのある街』など昭和の名作映画を作り、石原裕次郎、小林旭、吉永小百合など日本を代表する名優たちを世に送り出した『日活』が、今年9月で創業100周年を迎える。

 日活は、映画やテレビ番組の製作や配給、映画館経営などを手掛けている。昨年は人気漫画家・奥浩哉氏の原作を実写化した映画『GANTZ』がヒットし約60億円の興行収入を上げ、直木賞作家・角田光代氏の小説を映画化した『八日目の蟬』は日本アカデミー賞で最優秀作品賞など10部門を獲得し話題となった。

1960年代に東京・日比谷にあった日活本社ビル。1970(昭和45)年に、大映に譲渡される

 この日活の黄金時代を築いたのが、昭和初期から中期にかけて同社の経営に携わった堀久作(1974年没、享年74)だ。一流ホテルの社長などを務めた堀は、根っからの実業家。「事業の拡大などに熱意を傾けていた」と、日活の歴史に詳しい映画評論家の松島利行氏が解説する。

「堀は経営を担当し、あまり撮影現場には口を出しませんでした。俳優の発掘や映画製作を担ったのは、『自分の体を切ると日活の血が出てくる』と語っていた常務取締役の江守清樹郎('83年没、享年83)です。このコンビがうまく機能したことで、日活は全盛期を迎えたのでしょう」

 同社は1912(大正元)年9月、映画興行を独占していた『横田商会』や『吉沢商店』など、国産活動写真商社4社が合併して誕生した。ところが経営陣の対立などで、創業直後から社内は混乱。日活を再建するために、1930年代から辣腕を振るったのが堀だ。

 堀は荒物商を営んでいた堀久吉の長男として、1900(明治33)年7月に生まれた。だが8歳の時に父が他界すると母親の手一つで育てられ、大倉高等商業(現・東京経済大学)を卒業。炭鉱会社の会計やメーカーの販売などで実業家としての実績を積み独立する。卓越した経営手腕を買われ『山王会館』(後の『山王ホテル』)の社長に就いたのは、1932(昭和7)年のことである。

未知の洋画興行を独占

 日活の経営に携わるきっかけとなったのが、『東京瓦斯』(現『東京ガス』)の常務取締役など二十数社の役員を務めていた、尊敬する経済界の重鎮・松方乙彦(元総理大臣・松方正義の八男)の言葉だ。1934(昭和9)年7月、仕事で渡米していた松方は、軽井沢の『万平ホテル』に堀を呼び出す。後に堀は、自身の著書で次のように記している。