将来のために頑張って働けば働くほど疲弊していく。「ラットレース」に陥ってしまうのはなぜか?
第2回のアンケートより(5月23日20時現在の結果)

 能力や程度の差こそあれ、誰もが日々一生懸命に働いています。一生懸命どころか、自分の身体的・精神的健康も後回しにして、強迫観念にかられたように、必死になって働いている人も多くいます。

「なんでそんなに必死に働いているのか?」

 こう聞かれると、「いま頑張らなければ、将来苦労するぞ。食べていかれないぞ」と返答する人が多いでしょう。たしかに、「アリとキリギリス」の寓話を思い出してみても、「いま頑張らなければ将来苦労する」というのは「もっとも」な答えかもしれません。

 ですが、ここで少し立ち止まって考える必要があります。

「いま頑張らなければ将来苦労する」と言いいますが、では「いま頑張れば、将来楽になる」のでしょうか?

 前回のアンケートでは、「いま必死にがんばれば、将来楽な働き方ができる」という項目に対して「そう思っている」と答えた人は、わずか26.38%(5月23日20時現在)でした。

 4人中3人までが、自信を持って「いま頑張れば将来楽になる」と答えられないのです。夏の間「アリ」のように一生懸命働いても冬を越せるとは限らない、と感じているのです。

 しかしその一方で、誰もが全力で走っている。「冬を越せる確信」はなくても、とりあえず走っているわけですね。

 では、なぜ、確信もないのに走り続けるのか? それは「周りが全力で走っているから」ではないでしょうか。

僕たちは、熱帯雨林の木々に似ている

 かつて、このような話を聞いたことがあります。

〈 生存競争が激しい熱帯雨林に生息している樹木は、どの木も、隣の木よりも多くの光を得ようと上へ上へと伸びる。ところが、それでは「影」に隠れてしまう木が出てくる。その影に隠れた木々は、太陽の光を得ようと、他の木と同じ高さまで伸びようとする。もしくは、いちばん高く伸びて、光を独り占めしようとする。すべての木が同様のことを考えているため、熱帯雨林の木々は非常に背が高い。

 ところが、ふとその熱帯雨林を俯瞰して全体を見渡してみると、光を得ているのは最上部の葉っぱだけだということに気がつく。一生懸命背伸びして、高いところにたどりつこうとしているが、日が当たっているのはごく一部なのである。

 そして、より大事なことは、すべての木の背が低くても「各樹木が得られる光の量は同じ」ということだ。自分だけ太陽の光を得ようと競い合って伸びても、誰も何も考えず「当初」の高さでとどまっていても、「得られるもの」は同じだったのである。熱帯雨林に生息している樹木は、なんと無駄なことをしているのだろうか--- 〉

 じつはこのエピソードは、ぼくが英語の教材として読んだものです。大学受験時に代々木ゼミナールのテキストの中にありました。

 この指摘は、資本主義経済に生きるわたしたちの姿をよく表していると言えるのではないでしょうか?

 ほとんどの人は、より多くの光を得るために「他人よりも上」に行こうとします。ところが、他人も同じことを考えており、みんなとりあえず上を目指して生きています。その結果、熱帯雨林の木々と同じように、最終的に得られるものは「競い合う前となんら変わらない」という状況に陥っているのです。

 なんとも皮肉な結果です。

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