磯田道史 第3回 「自然災害は繰り返す。だから私はいままで起きた大地震の古文書を徹底的に読み込むのです」

撮影:立木義浩

第2回はこちらをご覧ください。

シマジ 江戸をこよなく愛する磯田教授は、やはり東京生まれなんですか?

磯田 とんでもない。わたしは岡山市の生まれです。父親は役所勤めの農芸化学の研究者で土を分析したりしていました。母親は高校の英語の教師でした。

シマジ 学者になるにふさわしい家庭環境ですね。慶應大学にはストレートで入ったんですか?

磯田 いえ。わたしは最初、京都府立大学に入ったんです。水本邦彦さんとか、気になる歴史学者がいて京都の史跡がみられるから、そこへ入ってみた。しかし、あそこは大学院がなかった。京都で歴史学の本を読むうち、やっぱり、歴史学を研究するには大学院のある大学がいい、どうせ入るなら、その面白い研究をしていた慶応の速水融先生のところがいいと思うようになった。そこで、教えを乞うために翌年慶應を受けたんです。

 のちに速水教授は「歴史人口学」という学問分野を日本で開拓して、文化勲章をもらい、歴史学の重鎮になります。当時はあまり知られていませんでしたから、わたしには人物をみる目があったのかもしれませんね(笑)。

 でも受験勉強は苦手でした。そもそも細切れの英語の文章を出してきて、それを訳せなんていうのは、くだらないゲームみたいなものだと思っていました。たとえば『ローマ帝国衰亡史』はだれが書いたかという質問に、「エドワード・ギボン」って答えるような試験は教養とはいえません。あれはクイズですよ。

 そういえば、わたしは京都府立大学にいるとき、『ローマ帝国衰亡史』に挑戦したんです。あそこの図書館で原書をたくさん読んでましたから、慶應の受験はそれほど苦労しませんでした。