週現『熱討スタジアム』第15回『渡良瀬橋』『私がオバさんになっても』『雨』森高千里を語ろう

今週のディープ・ピープル 河野伸×中森明夫
こうの・しん/'64年、東京都生まれ。作曲家、編曲家。森高千里のコンサートメンバーとしても活躍。後にモーニング娘。などの楽曲を手がける
なかもり・あきお/'60年、三重県生まれ。コラムニスト、作家。'87年よりアイドル評論家を名乗り始める。「おたく」という言葉の生みの親でもある

 大胆な衣装をまとった美少女が、華麗に踊り、時に楽器を奏でながら、ポップな自作曲を歌い上げる。バブルの熱狂はこのスーパーアイドルとともにあった。

ボディコン、ミニスカート

中森 私が最初に森高千里さんを意識したのは'86年。ポカリスエットのCMに糸井重里さんと一緒に登場した時です。それが彼女のデビューだったわけですが、こんな完璧なルックスの人間がいるのか、と。鮮烈に覚えています。

 私は今、アイドル評論家としてAKB48も追っていますが、あの中に森高さんがいたとしたら、完全に浮いてしまうでしょう(笑)。本当に完璧な美少女だった。

河野 なるほど。むしろ私は真逆で、初めて会った時「いたって普通の子」だと思いました。だから何を話したか全然覚えていない(笑)。'90年1月、彼女のバックバンドとしてツアーに参加した際ですね。私はアイドルとかにまったく興味がなくて、それまで彼女のことはあまり知らなかった。アイドルって聞いてたけど、ブリブリしていないし、いい意味で普通だなと。

中森 森高さんのデビューした'86年は、おニャン子クラブのブームが終わりかけた頃。『スケバン刑事』が流行っていて、斉藤由貴や浅香唯、南野陽子といったアイドルが活躍していた。彼女たちと森高さんが違ったのは、どういう人かわからなかったこと。看板番組はないし、それこそCMくらいしか露出がなくて、銀色夏生さんの写真詩集に出演した際は、名前さえクレジットされていなかった。まさに「謎の美少女」。

河野 シングル『NEW SEASON』('87年)で歌手デビューしてからは多少は見る機会が増えましたが、彼女自体メディア露出は限られていましたし、音楽的にもパッとしなかった。