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「創業100年企業の血脈」
第三回 ヤンマー 「豊穣の空を飛ぶトンボが社名の由来」

 今年、創業100周年を迎える日本を代表する企業。現在、苦境に喘ぐものも多いが、日本経済を牽引してきた名門企業の原点を振り返った

〈僕の名前はヤン坊 僕の名前はマー坊二人合わせてヤンマーだ 君と僕とでヤンマーだ~♪〉

 誰にも聴き覚えのある、この天気予報のメロディー。提供しているのは〈小さなものから大きなものまで動かす力だ〉という歌詞通り、農業用発動機から建設機械、小型船舶などを手掛ける大手産業機械メーカー『ヤンマー』だ。最近では中国やタイなどアジアでの海外事業が好調で、'11年3月期の決算では172億円の経常利益を上げている。

 そのヤンマーが今年で創業100周年を迎える。ヤンマーの原点は、世界で初めて小型ディーゼルエンジンを開発した創業者の山岡孫吉(1962年没、享年74)だろう。同社の社史編纂担当者が語る。

「貧しい農村の子として生まれ育った孫吉は、常々こう考えていました。『農業における重労働を、もっと楽にしたい。そして農民の生活を、より豊かにしたい』と。この孫吉の信念が、ヤンマーの経営に引き継がれているんです」

 孫吉は、燃費のいい発動機を開発することが国のためになるという「燃料報国」の哲学を持っていた。発動機を使って作業を軽減すれば、農民のためになり、ひいては国に報いることにもなると考えたのだ。ヤンマーの経営理念とも言えるこの哲学を貫いた、孫吉の生涯を振り返る。

 孫吉は1888(明治21)年3月22日、滋賀県伊香郡南富永村(現・長浜市)に住む山岡忠三郎とくに夫妻の、7人兄弟の6番目として生まれた。南富永村は土地が酸性で農業が発展しなかったため多くの子供は都会に働きに出されたが、孫吉も1903(明治36)年に16歳で大阪に奉公に出る。職を転々とした末、『大阪<瓦斯』(現・大阪ガス)にガス管を埋める作業員として就職。その後ガス用のゴム管を取り扱うブローカーとして独立し、一財産を儲けた。

 この資金を元に1912(明治45)年3月に創立されたのが、ヤンマーの前身でガス発動機を手がける『山岡発動機工作所』である。孫吉は大阪市北区北野西之町(現・茶屋町)に70坪の土地を借りたが、当時はまだ旋盤機が5台、工員も7~8人しかいない小さな会社だった。日本の科学技術史を研究している、武庫川女子大名誉教授・三宅宏司氏が解説する。

「設立当初は好調でしたが、1918(大正7)年に第一次世界大戦が収束すると、それまで良かった景気が一転します。不況の波が押し寄せ、ガス発動機の需要も大きく減少し、山岡発動機は窮地に追い込まれるのです」

 新たな商いのきっかけを探し、孫吉は途方にくれる。ガス会社の作業員仲間だった知り合いが、香川県の丸亀で石油発動機を開発し地元の農家に売ったことを知ったのは、そんな時だった。

「1920(大正9)年8月に、孫吉は丸亀を訪れ、ガス発動機を石油発動機に改造した籾摺り装置を見せてもらいます。そして知人から説明を受け、手作業より約10倍の量の仕事をこなせることが分かりました。孫吉は『これはいける!』と確信。大型で重いガス発動機に替わり、持ち運びに便利な農業用の石油発動機の製造を決意したんです」(前出・三宅氏)