ゴルフ
こんな挑戦を10年以上も続けられる日本人選手は残念ながらいない。「捨て身の男」、164試合目の勝利

惜敗を重ねた末に、ついに初優勝したジェイソン・ダフナー(写真/平岡純)

 チューリッヒ・クラシック・オブ・ニューオーリンズでジェイソン・ダフナー(米国)が、ついに初優勝を遂げた。

2位に2打差の単独首位で最終日に臨んだダフナーは、チャージをかけたアーニー・エルスとのプレーオフにもつれ込んだ。

2ホール目の18番(パー5)。ティショットがフェアウエイバンカーにつかまったエルスは第3打でなんとかグリーンエッジまで持っていったが、エッジからのバーディーパットはカップの縁で止まってしまった。対するダフナーは見事2オンに成功し、最後は60センチのイージーバーディーで勝利した。

04年の米ツアーデビュー以来、実に164試合目にして初優勝を手に入れた35歳のダフナー。ウイニングパットを沈めた瞬間も、派手なガッツポーズを取らず、ちょいと両手を挙げただけというリアクションが、なんともダフナーらしかった。

「すべてを失ってもいい」

ダフナーを眺めるとき、いつも今田竜二が重なって見える。2人はジュニア時代からの親友で、米ツアーに来てからも毎週のように一緒に練習ラウンドを回ったり、助言をし合ったり。

 その今田が、いつだったか、半ば興奮気味にこんなことを言ってきた。

「アイツら、すごいですよ!」

 見ると、「アイツら」は、その日、一緒に練習ラウンドをしたダフナーたちのことだった。今田が言った「アイツら」は主としてダフナーのことだった。

「アイツら、『ここで勝つためだったら、すべてを失ってもいい』って言うんですよ。僕は、すべてを失ってもいいかって言われたら、やっぱり、いくらなんでも、すべて失うのは、ちょっとなあって思っちゃいますから……」

 ダフナーは、どうして、そこまで捨て身になれるのか。そのワケは、彼が元々、ゼロから始め、常に「失うものは何もない」という姿勢でクラブを握ってきたからだろう。

 ダフナーがゴルフを始めた時期は15歳。他の有能なジュニアたちより明らかに遅いスタートだった。

 だが、努力に努力を重ね、コツコツと腕を磨いたダフナーは、98年には全米アマチュア・パブリックリンクス選手権で決勝マッチへ進出。しかし、3&2でトレバー・イメルマンに敗れた。

大学卒業後、00年にプロ転向したものの、二軍のネイションワイドツアーの出場権すら持っていない状況で01年を迎えた。

毎週毎週、二軍ツアーのマンデーに挑み、一発勝負でその週の大会に出た。もちろん出られない週とて、たくさんあった。運よく出場できたときは、転戦経費とエントリーフィーとわずかな食費、生活費を稼ぐために必死に戦った。そうこうしているうちに、その年のワチタオープンで初優勝。晴れて二軍ツアーの出場権を手に入れた。

二軍ツアーでプレーすること3年間。04年から、やっと米ツアー出場権を得たものの、Qスクールや二軍への逆戻りも重ね、成績が比較的安定したのは09年ごろからだった。

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