雑誌
「創業100年企業の血脈」
第二回 西武鉄道 「社員にカレーを振る舞ったピストル堤」

フライデー

「1939年11月には、箱根土地の系列会社だった国分寺―村山貯水池間の『多摩湖鉄道』(現『西武多摩湖線』)を買収。東京・村山に作られた大貯水池に〝東京近郊のリゾート地〟を夢見て、1950(昭和25)年には『西武遊園地』を作ります。さらに『藤田観光』が所有していた『豊島園』の集客を見越して練馬―豊島園間に支線を開通させ、豊島園を傘下に置きます。

『西武村山線』(高田馬場―東村山間)を持ち武蔵野鉄道と競合していた旧『西武鉄道』の株を取得し、康次郎が社長に就任、武蔵野鉄道に吸収合併させ新生『西武鉄道』を終戦間もない1946(昭和21)年9月に発足させたのです。その後も西武鉄道は拡大を続け、当初武蔵野鉄道の44kmほどだった路線は、約180kmまで発展しました」(西武鉄道OB)

宮家の邸宅跡地に「プリンス」

 康次郎はこの西武鉄道のターミナル駅・池袋で、新たな事業に乗り出す。康次郎は太平洋戦争後の食糧難の中、池袋駅前の土地の権利を取得し、当時は闇市などが広がっていた地域に食品を中心とした総合小売店舗を建てたのだ。今で言う食品スーパーである。これが現在の『西武百貨店』池袋店の前身である。

 さらに1946年5月にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が、秩父、高松、三笠の直宮家を除く11宮家に臣籍降下と財産税の納付を申し渡すと、康次郎はこれも事業に活用する。降下した宮家の邸宅を買収。跡地にホテルを建てたのだ。旧竹田宮邸には『高輪プリンス』、旧朝香宮邸には『芝白金迎賓館』(現『東京都庭園美術館』)朝鮮李王家邸には『赤坂プリンス』・・・・・・。元皇室の土地が持つ高貴なブランド力を最大限に利用するため、西武系列の多くのホテルには「プリンス」の名が冠される。

 こうして康次郎は、リゾート、鉄道、不動産、百貨店、ホテルなどの巨大な企業グループを構築した。その一方で社員も大切にしたという。

「康次郎さんは『お客様相手のビジネスをしているのだから、お客様に感謝をし、奉仕しなければいけない、これがサービス業の基本だ』と言っていました」

 康次郎のもとで書生をしていた元西武のグループ企業の役員は、こう振り返ると、「先輩社員から聞いた」という次のようなエピソードを明かした。

「戦後しばらくは、大雪が降ると線路を切り替えるポイントが凍結して、電車がよく停まっていました。そうした事態を阻止するため、西武鉄道では社員が徹夜でポイントを監視していたんです。だからどんなに雪が降っても西武だけは電車が停まることがなく運行し、お客様に迷惑をかけることはありませんでした。そんな社員たちに感謝し、康次郎さんは頻繁に自宅に呼んでいた。そして自ら作ったカレーを、来た社員に振る舞っていたそうです。従業員を気遣う社長と社員は、強い信頼関係で結ばれていました。そんな強固な関係が西武を支え、発展させてきたのではないでしょうか」