賢者の知恵
2012年05月02日(水) フライデー

「創業100年企業の血脈」
第二回 西武鉄道 「社員にカレーを振る舞ったピストル堤」

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 明治から大正に移る頃、産ぶ声を上げた企業が今年、創業一〇〇周年を迎える。現在、苦境に喘ぐものも多いが、日本経済を牽引してきた名門企業の原点を振り返った。

『西武グループ』の中核企業『西武鉄道』の前身『武蔵野鉄道』が設立されたのは、今から100年前のことだ。

 1912(明治45)年5月に埼玉県・飯能の地主たちによって設立された武蔵野鉄道は、1915(大正4)年4月に池袋~飯能間約44kmの運転を開始。だが経営状態は当初から芳しくなく、危機に陥っていた。この武蔵野鉄道の経営権を取得し、一代で不動産や観光などのリゾート開発、ホテル事業、デパートなどの大企業集団『西武グループ』を築き上げたのが、堤康次郎(1964年没、享年75)である。

 その西武が現在、危機に直面している。社長職は『みずほコーポレート銀行』出身の後藤高志氏(63)に委ねられ、外部から来た経営陣と創業家の堤家との間には大きな軋轢が発生。その争いは、法廷闘争にまで発展しているのだ。堤家にいったい何があったのか。鉄道と不動産を中心に事業を拡大していった康次郎の半生とともに、解き明かしていきたい---。

 康次郎が生まれたのは、滋賀県の湖東地方にある人口2000人ほどの農村・八木荘村だ。農家兼麻仲介商だった猶治郎とみを夫妻の長男として、1989(明治22)年3月7日に誕生した。ところが父は腸チフスで他界。祖父・清左衛門は母みをを実家に返し、康次郎を自らの手で育て始める。康次郎5歳の時だ。

 明治大学の由井常彦名誉教授らが康次郎の人生を記した『堤康次郎』(リブロポート)には、次のように記されている。

〈彼(清左衛門)は康次郎にたいして、神仏を畏敬すること、五倫の人の道を尊ぶこと、勤労と倹約が人生の根本にあること、怠惰奢侈が身をほろぼすこと、などを事あるごとに教えるようになった〉

 清左衛門は浄土真宗の信仰者で、住職と親交のあった西本願寺派の蓮照寺に康次郎を連れていき、この「報恩感謝」の考えを学ばせた。清左衛門の教育は、康次郎の倫理観に大きな影響を及ぼす。

リゾート開発は日本の国益

 1907(明治40)年に清左衛門が他界すると、康次郎は実家の田畑を担保に入れて5000円の資金を調達し、憧れていた大隈重信が創設した早稲田大学政治経済学部に入学する。康次郎は、大隈が総裁を務めていた弁論部である雄弁会や柔道部に入部。大隈の知遇を得たことにより政財界への人脈を広げ、実業界への興味を深めていったのだ。康次郎の次男で、元『セゾングループ』代表の堤清二氏(85)が話す。

「1924(大正13)年に初当選し衆議院議長まで務めた康次郎ですが、生前『政治家はカネがいる。でも人からカネをもらっていたのでは、自由な発言はできない。だから自分でカネを得るため、まず実業の世界に入ったのだ』と話していました。康次郎が学生時代に知り合った大物の一人に、藤田謙一がいます。藤田は日本商工会議所の初代会頭で、不動産会社『箱根土地』(後の『コクド』)の社長でもありました。康次郎の素質を見抜いた藤田は、政治家より実業家での立身を勧めたそうです」

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