ゴールのためのビジネス経験則
1.田村 信之(イタリアサッカー協会認定選手エージェント)
2.アフシン ゴトビ(清水エスパルス監督)

 限られた予算と時間、優れた人材の育成。サッカーチームには「組織」と「個人」による、あらゆるビジネスシーンのモデルが組み込まれている。そんなサッカーの世界における、マネージメントの極意!

たむら のぶゆき1972年12月6日生まれ、神奈川県出身。株式会社エフ・オー・エルスポーツトウキョウ。FIFA公認イタリアサッカー協会認定選手エージェント。語学習得のため、イタリアに渡り、中田英寿の通訳をへて、2004年9月にエージェント資格を取得。現在は日本で代理人として活躍している

田村 信之
イタリアサッカー協会認定選手エージェント

「代理人と選手の関係」

単身イタリアへ渡り
通訳からエージェントに

 現在、選手の代理人として活動する田村信之の原点はイタリアにある。

 卒業旅行でヨーロッパに行った田村は、生で見た本場のサッカーに衝撃を受ける。子どものころのアイドルはパオロ・ロッシで、美しくも手堅いイタリアサッカーに情熱を感じた。帰国後もその熱は冷めやらず、田村はサッカーで飯を食っていこうと決意する。

「当時はジャーナリスト志望で、それには言葉を覚えなければと考え、イタリアに語学留学しようと思ったんです。それで約1年間、肉体労働をして資金を貯め、忘れもしない1997年5月29に日本を発ったんです」

 降り立ったペルージャの町で勉学に励みつつも、田村はカルチョを堪能することを忘れていなかった。当時、セリエBに在籍していたペルージャのシーズンチケットを購入し、レナト・クーリ・スタジアムに足繁く通った。クルバ(熱狂的なサポーターエリア)に珍しい日本人がいる。その噂はたちまち広まり、当時、オーナーだったガウッチ家の耳にまで入った。

 語学留学から1年が過ぎた1998年7月、人づてにルチアーノ・ガウッチの息子から連絡を受けた田村は、「手伝ってほしい」との依頼を受け、古城へと連れられていく。なにやら、そこでは会見の準備が進められていた。敏感な人ならばお気づきだろう。そう、それが中田英寿の入団会見だった。

「まだ言葉もたいして分からないのに引き受けてしまったので、ぼろぼろの記者会見だったんです。思い切って引き受けたのは、若気の至りというんですかね。でも、後悔はしていないんです。それがきっかけで、サッカーの世界に飛び込めたんですからね」

 中田がローマへ移籍する際も「一緒に来てくれないか」と誘われ、ともに活動の場をローマに移した。

「だけど、ヒデにはもう通訳が必要ないことは分かっていたんです。だからローマでの半年を終えたとき、辞めることにしました。ヒデは引き留めてくれ、うれしかったですね。今でも、この世界に入るきっかけを作ってくれたヒデには、感謝の気持ちでいっぱいです」

 その前から代理人の資格を取ろうと、試験は受けていた。そのハードルは厳しく、落ちることもあったが、中田やペルージャ時代に懇意にしていたショーン・ソリアーノらに背中を押され、田村は2004年、イタリアサッカー協会認定選手エージェントとなる。

「その後はオベルト・ペトリッカの下で、小笠原満男選手のメッシーナ移籍や、柳沢敦選手がメッシーナから鹿島アントラーズに復帰する際の移籍に関わらせてもらいました」

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