国際関係を取り結ぶのは「人」。民間交流の先駆者、山本正・JCIE理事長の衣鉢を継ぐのは誰か
JCIEホームページに掲載されている山本理事長の訃報

 4月15日、公益財団法人「日本国際交流センター(JCIE)」の山本正理事長が亡くなった。76歳だった。山本氏は日本の民間国際交流のパイオニアで、国境を越えた人と人との橋渡しに人生を捧げられた。「下田会議」、「三極委員会」、「日米議員交流」、「日豪議員交流」、「日英21世紀委員会」、「日韓フォーラム」、「日独フォーラム」と、山本氏が手がけられた交流の場は枚挙にいとまがない。

 そして、そうした交流を通じて、人類共通の課題である「人間の安全保障」の重要性を説き続けられた。政権交代もあり、日本の外交の基礎ともいうべき国境を越えた人的ネットワークが急速に貧弱になりつつあるだけに、まだまだ活躍していただきたい人だった。また、日本におけるNPO・NGOなどシビル・ソサエティ確立にも努力され、我々が国内的に失ったものも大きい。

 私も、1993年に国会議員に初当選した直後から、様々な国際会議に誘っていただくなど、限りない知的刺激を提供していただいた。海外から国会議員や議会スタッフ、学者、シンクタンク運営者などが来日する度に、議論の場をセットするなど、様々な形で交流の機会を作っていただいた。

 中でも 私が彼と最も緊密に仕事をしたのは「日英21世紀委員会」である。この集まりは中曽根康弘首相とマーガレット・サッチャー首相(ともに当時)が1984年に合意してできたもので、当初は「日英2000年委員会」と呼ばれていた。その日本側座長を2002年に私が椎名素夫先生から引き継いだのだが、これも山本氏の計らいだった。

 日本側座長として合計10回の会合に参加したが、開催日決定から、議題の決定、参加者の人選、会議の進行、とりまとめ文書の作成などに、共に取り組んだ。会議の期間中は、夜遅くまで参加者と酒を飲み、語り合った後、彼だけは、会議の総括ペーパーをまとめるために、皆が寝静まった頃、一人パソコンに向かっていた姿が今も目に焼き付いている。

 政権交代したこともあり、昨年末、日本側の座長を民主党の前原誠司議員に代わる事になった。その時の気配りも忘れない。英国側座長のマイケル・ハワード卿が来日した際にわざわざ山本氏同席の下、3人で会食する場を作ってくれたのだ。ハワード卿は上院議員で保守党の党首も務めた大物。野田佳彦首相への表敬などタイトなスケジュールの中で時間を割くよう配慮していただいたのだ。

「非営利」「非政府」を貫いた

 国際交流の基礎、基盤は言うまでもなく、人と人のつながりである。個人同士の信頼関係が出来上がって、組織や国同士の信頼が深まる。山本氏はそれを本当に理解していた。人と人をつなぐ、きめ細かい配慮をする人だった。先週末、東京で開催された三極委員会では、パネリストに依頼をするなど準備をしていただけに、皆、発言の冒頭で故人への熱い思いを語っていた。

 古い話になるが、最も思い出深いのが、加藤紘一議員が自民党の政調会長だった頃、ニューヨークのマンハッタンにあったキッシンジャー元国務長官のお宅に招待され、私も同席したことだ。その段取りをしてくれたのも山本氏だった。20人ほどが集まったディナーだったが、論客が待ち構えていて、さながら口頭試問のような迫力ある議論の場だった。

 デイヴィッド・ロックフェラー当主を筆頭に、民主党系、共和党系双方の経営者、マスコミ人といった識者が一堂に会し、さながら米国の根幹に影響力を持つ「奥の院」のようであった。そうした国家の中枢とも言うべき場に我々政治家をいざなう事ができる希有な人材こそ、山本氏であった。

 彼は、「独立」「中立」を重んじ、「非営利」「非政府」を貫いてきた。理事長を務めたJCIEも非営利、非政府の組織だった。自ら日本のシビル・ソサエティ確立のためにも奔走し、中立・非営利のシンクタンクの必要性を説いた。おそらくそういう理想的なシンクタンクは、JCIEが後にも先にも唯一かも知れない。

 また、NGO(非政府組織)の育成にもとりわけ熱心だった。一時外交関係議員の一人に睨まれ、一苦労させられていた国際人道支援NGOである「ピースウィンズ・ジャパン」の大西健丞代表理事を私とともにねぎらい、3人で痛飲しながら議論した事もあった。

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