インターネットが変える情脈と変化する世界

 世界のありとあらゆる物を見渡す能力が、神だけに許された物だとしたならば、人類は神に近づこうとしているのかもしれない。最近世間を騒がせるビッグデータの創りだす未来を想像するとそんなことを感じる。

 未来の話をするまえに、少しだけインターネットの裏側に携わってきた人間の目から見た、インターネットと社会の関係性について話してみたい。

インターネットがもたらした情報革命

 1988年に初めて商用利用が開始されたインターネット。この名前を日本で聞いた事が無い人は殆ど存在しないだろう。

 しかし、インターネットがもたらした本質的な部分について語られることはそれほど多くは無い。何故なら、インターネットとは既に人々の生活の一部となっており、日常的に当たり前のように利用する物だからだ。水道の蛇口を捻る時に蛇口から水が出ることの「本質」を考える人は多くないように、当たり前となっている物の本質など普通は全く気にしない。

 何より、既にインターネットは個人や個々の企業によって、多種多様な使われ方をしており、それぞれの思う形も様々なものになっている。暇つぶしのためにウェブを見る人も、取引先と商談を行うためにメールを利用する人も、広告代わりにHPを作成している等、皆自由に使っている。個々人や企業の利用を規定出来ないほどその利用の幅は広がっている。

 しかし、社会という大きな括りで考えた時、「水道の蛇口」が生活を営むために欠かせない物であるように、インターネットもまた大きな役割を担っている。社会という大きな視点で考えた場合、インターネットがもたらした本質的な革命とは、誰もが正しい判断を行うために必要な「情報」に平等にアクセスする環境をもたらしたことにある。持たざる者に情報という名の武器を与え、強者と対等に闘うための武器を与えたのだ。

情報が持たざる者に力を与え、新たな産業を創造した

 人類の歴史を遡れば、かつて教育と知識は権力者の特権であり、持たざる者達は「学ぶ」ことさえ許されなかった。そのため多くの人は文字を読み書きすることも出来ず、口伝にしか知識を伝えることが出来なかったため、「権力者にとって都合の良い解釈」が人々の思想を支配していた。

 この権力者による「知識の独占」から人々を解放したのが、「グーテンベルグの活版印刷技術」であった。多数の知識が紙となって流通したことで、それを手にした人々が様々な視点や見解を加え、人々は権力者によって創られた歴史から解放され自由を得たのだ。
無尽蔵にデジタルデータをコピーし距離を越え流通させるインターネットを、紙のコピーを可能にした活版印刷技術以来の革命と賞賛する人は多い。

 しかし、私はそれ以上の意味があると考えている。インターネットとは「水道」であり、そこで運ばれる情報は「水」に近い。世界で水の存在しない土地を想像してみて欲しい。地球上で最も乾いた土地とは砂漠であり、そこに生命は育たない。勿論産業も発展せず都市も生まれない。しかし、その乾いた土地に水が現れれば、そこを拠点として人が集まり、産業が産まれ都市となる。

 インターネットが世界に情報の水道を張り巡らせたことによって、人の居ない土地であっても、「情報」の集まる所に距離を越えて人が集まるようになり、人が繋がりビジネスが生まれ、そこから「新しい産業」を創出してきた。