「日本人はリスクをとらない民族」という常識は、歴史に学べば大間違い。これからは「ウミヒコ」の時代はやってくる。

西日本を中心にウミヒコ的価値観が台頭中?〔PHOTO〕gettyimages

「日本人ってリスクを取らない民族ですよね」という言葉はよく聞きます。日本人は農耕民族で、狩猟民族のアングロサクソンなど西洋の人たちと違い、長期視点でリスクを取らない。日本に投資の文化が根付かないのは、日本人の民族性に照らしたものだ、と。

 私はそのような話をする人にこのように聞くことがあります。

「遣唐使って覚えてるでしょ? 平安時代に船に乗って中国の長安に行った外交の使節ね。あの当時、日本から中国に着く確率ってどのくらいだったかご存知ですか?」

 だいたい不意をつかれたような顔をして、こちらを見ます。「えーっと、7~8割くらい?」

「違います。だいたい半分くらいですよ。半分くらいは沈没したり難破したり漂流したりする。だから、行って帰ってくるとなるとだいたい4分の1強くらいなんですよ。だから、船は4隻出しました。1隻は帰ってくるようにです。

 1隻当たり100人くらい乗せて行ったんです。しかも乗るのは僧や貴族など将来を期待されるエリートばかり。貴族や僧の息子を確率4分の3は帰ってこれない旅にやる国が、リスクを取らない国と言えるのでしょうか」

リスクを取って得たものは知恵と情報

 遣唐使は20回程度計画されて、何度か計画倒れに終わりましたが、相当苦難の旅であったことがわかります。延喜式という昔の資料から、どのような役割の人たちがいくらの給料をもらったのかということまでわかっています。それが実に興味深い。

 遣唐使は大使、副大使を始め、多くの事務官を抱えていましたが、長期留学生、短期留学生などの他に、船を運航するためのさまざまな専門家が含まれました。当然、水夫や航海の専門家などの他に、文章の記録を取る人、絵で風景や情景を記録する絵師、航海を鼓舞するために音楽を鳴らしたり皇帝と会う時のBGMを流すための音楽隊、神主(神頼み?)や陰陽師・占師(意思決定のサポーター)などもいました。

 今ではiPhoneひとつあれば出来そうなことですが、当時はこれだけの人たちが必要でした。船それぞれが独立して行動できるように、これらの人たちがワンセット必要だったわけです。

 じつは主要メンバーの渡航費は唐から出ていたらしく、また日本から持ってきた皇帝へのプレゼントに対しては3倍返しをするという不文律があった。唐の経済的負担も相当だったようです。

 そして、「唐史」によると日本人は皇帝からもらった貢物を市中で売却し、そのお金であるものを買い集めたそうです。何かというと、書物です。日本人が命がけで唐に行ってまで欲しがったものはなにかというと書物だったんです。命がけでリスクを取って得ようとしていたものは、知恵や情報が詰まった書物だったというのは、意外ではないでしょうか。

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