世界が注視する原子力規制機関に"歴史的大転換"を!
厳格な独立性を確保するため、政府は自民・野党の対案を「丸呑み」せよ

リチャード・メザーブ元NRC(米国原子力規制委員会)委員長〔PHOTO〕gettyimages

「日本の原子力行政には『大転換(radical change)』が必要だ」。

 2月末、都内のホテルの一室で向かい合っていたリチャード・メザーブ元NRC(米国原子力規制委員会)委員長は、静かな、しかし確信を感じさせる口調で私にこう言った。

 これだけ深刻な事故を起こしても本源的教訓を引き出すことなく、発想の切り替えもできず、内外の信頼回復をできない日本政府に対する、そして国家としての日本に対する最後の忠告のように響いた。

 さらにたたみ込むように、彼はこう加えた。

「特に、意志決定メカニズム改革が重要だ。規制の判断は、決断する能力のある者が行うべきで、それが規制組織の役割だ。なぜならば、情報が一番集まり、知見、知識が最も集積するのが規制組織であり、決して政治や首相官邸ではないはずだ」

 この言葉に、規制機関改革の方向性と内容が凝縮されている、と私は思った。そして、この点は、大飯原発のチェックのために1月に来日したIAEAチームに参加していた英国原子力規制庁(ONR)のスタッフが私の国会事務所で示した認識と全く同じだった。

 新しい原子力規制組織についての自民党案が概ねまとまった。今週中にも正式に機関決定した後、公明党をはじめ野党各党に呼びかけ、対案として国会に提出する構えだ。政府にわれわれの案を丸ごと受け入れることを求めていく。

 政府が国会に提出している法案では、新設する原子力規制庁は環境省の外局という位置づけだ。規制庁長官の上に環境相が座り、予算や人事への影響力のみならず、安全基準そのものも環境省令となるため、今回の再稼働の前提となる暫定安全基準のように、安全性確保に政治による歪みをもたらせてしまうことが懸念される。これでは国際ルールが求める厳格な独立性を確保するのは不可能に近い。

 私は昨年来、こうした点を始め、政府案が抱える独立性、一元化に関する多くの問題点を指摘し続け、独立性に関しては、新組織を国家行政組織法3条に基づく委員会、いわゆる「3条委員会」とすべきだと主張し続けてきた。

 自民党内での議論の結果、やはり規制組織全体を3条委員会にする、という一線は譲れないという点で、このほど一致をみた。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、日本の原子力規制のあり方は世界の大きな関心事になっている。つまり、国際標準に則った規制機関を日本が作るのかどうか、注視しているのだ。

 国際原子力機関(IAEA)の「基本安全原則」には、規制機関が満たさなければならない条件として、以下のように書かれている。

・自らの責任を完全に果たすために適切な法的能力、技術及び管理の能力、並びに人的、資金的資源を有すること

・利害関係者から不当な圧力を受けることがないように、許認可取得者及びその他の全ての機関から独立であること

・施設と活動の安全性(人と環境を含む)と規制手続きについて周囲の団体、公衆、許認可取得者及び情報メディアに伝達する適切な手段を有すること

・適宜、開放的で誰でも参加しやすいプロセスにより、周囲の団体、公衆及び利害関係者の意見を求めること

 さらに具体的な独立性の基準として、IAEAは以下を明記している。

(1)独立した権限、人事権、予算編成権を持って許認可を行い、規則等を制定し、検査等を行う、(2)政治からの独立性を保つ、(3)エネルギー政策などの経済政策からも独立、(4)他の政府機関からの独立性も確保するなど、独立した規制判断と決定がなされねばならない、(5)他の政府機関に対し独立した勧告権を持たねばならない---という点だ。

 私が常々強調しているのは、このIAEAの安全原則・基準は世界の「最低基準」だということだ。これを当然のこととして満たした上で、更に厳しく安全のための規制・基準を定めていくことが求められている。

 そのためには、政府案ではまったく不十分と言うほかない。人類史上最大最悪の事故を起こした国として、国際社会が十二分に納得する独立機関を作る責務があるのだ。

子どもたちを二度と被害者にしないために

 政府案では環境省の下の外局としての原子力規制庁が規制を行い、国家行政組織法8条に基づく「原子力安全調査委員会」を置くとしている。規制庁に対するチェック機能と事故調査という、最早不要になる機能を担う盲腸のような委員会だ。

 これに対して、われわれが詰めている案では、まず3条委員会として「原子力規制委員会」を創設、その事務総局として「原子力規制庁」を置き、委員会が規制権限全体・人事・予算を一元的に管理する。

 原子力規制委員会の人事は首相が任命権者となるが、国会同意人事とし、身分保証を与える。本来、新組織は大災害時の統制の観点や安全保障への配慮などのためにも内閣府の下に置くべきだと思うが、当面は環境省に置くこととし、3年後に国会事故調査委報告や新組織の運営状況などを受けて見直す事とする。

 加えて、人事等は環境省から完全独立し、幹部のみならず一般職員も各省庁からの出向ではなく、ノーリターンとする、というものだ。

「そこまで強い独立性を与える必要はないのではないか」という声は当初、自民党の中にもあった。だが、議論を通じて大半の議員が独立性の重要さを認識した。

 実は、IAEAは原発事故への防災対策として、住民の被ばくを最小限に抑えるため原発の半径3~5キロ圏を「予防防護措置区域(PAZ)、30キロ圏を「緊急防護措置区域(UPZ)」に設定して、効果的な対策を講じるよう国際基準で定めていた。

 ところが日本はそれらの基準を防災指針に反映していなかったため、原発事故に際し、多くの子どもたちに不必要な被爆をさせてしまったとメディアが指摘している。2006年に原子力安全委員会が防災指針に導入しようとしたにもかかわらず、原子力安全・保安院がそれを止めたのだという。

 安全を第一に考えるべき保安院が、原発を推進する経済産業省の傘下にあり、独立性が保たれていなかったことが原因だという指摘が出ている。当時は自民党政権なので、保安院が安全を二の次にしたのだとすれば、我々政治の責任も極めて重い。

 今後、国会が設置した東京電力福島第一原発事故調査委員会(国会事故調)などが、事の顛末を明らかにすると期待したい。だが、いずれにせよ、安全を第一に考えるべき規制組織の独立性がないがしろになっていたことだけは間違いないだろう。

 緊急時には政治家が陣頭指揮を取るのは当たり前だ、という主張もある。日本では現在、原子力災害対策特別措置法において、原発の重大事故が起きた際には、首相が原子力災害対策本部長に就き、原子力規制の長(主務大臣)の命令権を超えて指示(オーバーライド)できることになっている(原災法第20条2項)。今回の政府案でもこの点は全く変わらない。

 平時と緊急時とで原子力規制の最終責任者を分ける、というのは、世界の非常識である。今回の事故では、平時と緊急時で権限が移り変わったことによって、問題が深刻化した、とみて良い。

 菅直人前首相ら政治家が、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」のデータの公表を差し止めたり、「ベントをしろ」「海水注入は止めろ」「浜岡原発を止めろ」「玄海原発の再起動を撤回しろ」と、法的根拠もない思いつきの命令を次々出し、国民不安を煽るばかりか、原子力規制全体の信用を大きく失墜させた。

 私はこれを「菅直人リスク」と呼び、その根絶が必要だと国会の質問でも指摘した。私は別に菅前首相の個人としての人格や人柄を批判しているのではない。「何にでも政治が口を出したい」のは菅さんに限らない。政治家の習性のようなものだ。「菅直人リスク」を抱える首相は、今後いくらでも登場する可能性はあるのだ。

 IAEAの国際専門家調査団報告書も規制組織の独立性は緊急時においても守られねばならないと明記している。つまり、原発事故に際し、規制組織の専門的、技術的判断に政治が介入すべきではなかった、ということを鋭く指摘しているのだ。

 野田佳彦首相は昨年9月に国連で、規制と利用を切り離し、さらに規制の一元化を図ることによって、「原発の安全性を世界最高水準に高める」と高らかに宣言して来た。国際社会に公約してきた世界最高水準の安全性を確保するには、規制組織の独立性を徹底的に高めることが不可欠である。

 ここでは指摘に止めるが、一元性に関しても政府案では、軍事転用をチェックする「保障措置」や、SPEEDIの的確な運用の前提となる「平時の放射能モニタリング」、さらには放射性同位元素のテロ対策など「核セキュリティに関わる機能の一部」などが文科省の抵抗で同省に残ったままである。これも世界標準から大きく外れている。

 ここは、3条委員会による、必要な機能を一元化したわれわれの野党案を政府が丸呑みし、高い独立性を誇る、一元化された原子力規制委員会が早期にスタートすることを期待したい。

 これこそが福島原発事故という歴史的事故を起こした国家が示すべき国家統治の仕組みの「大転換(radical change)」ではないか。

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