[フェンシング]
三宅諒<前編>「知ることから勝つことへ――2年目の挑戦」

世界を制した日本人唯一の存在

 フェンシングという競技が国内で広く知れ渡ったのは、4年前の北京五輪である。太田雄貴が五輪では日本人初のメダル(銀)を獲得し、全国にその名を轟かせたことは記憶に新しい。だが、実はその約1年前、日本フェンシング史上初めて世界の頂点に立った日本人フェンサーがいることはあまり知られていない。三宅諒、当時17歳が世界ジュニア・カデ選手権(U-17)男子フルーレで優勝したのだ。各年代カテゴリーを通じて世界選手権を制した唯一の日本人フェンサー。それが三宅である。

 現在、三宅は日本代表強化指定選手として世界を転戦している。2011年5月に韓国で行なわれたワールドカップA大会を皮切りに、6月はロシア、キューバ(ともにワールドカップ)を回り、7月のアジア選手権大会、10月の世界選手権大会と続く。全て翌年のロンドン五輪につながる重要な大会だ。世界ランキングは日本人選手では太田の7位に次ぐ25位。初めての五輪出場も現実味を帯びてきている。ところが、当の本人はというと、未だ五輪を強く意識してはいないのだという。

「もちろん、代表になっているわけですから、オリンピックに出られるに越したことはありません。でも、オリンピックのことを考える前に、今はやるべきことがたくさんある。目の前にある課題を一つ一つクリアしていくことの方が大事なんです。試合で一つでも多く収穫して、次の試合にいかす。この繰り返しの延長線上にオリンピックがあると思っています」

 五輪の1年前ともなれば当然、その話題を避けて通ることはできない。強化指定選手であれば、なおさらである。周囲からの期待の声が大きくなればなるほど、意識せざるを得なくなり、時にはそれが“過信”になることもある。だが、三宅にそうした浮き足立った様子は全く見られない。常に自分の立場を冷静に分析し、やるべきことを淡々とやる。これこそが“フェンサー気質”なのかもしれない。