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佐々木俊尚×田原総一朗×80年代生まれの若者4人第五回「『弱者のノマド論』とムラ社会崩壊後の社会保障」

第四回はこちらをご覧ください。

弱者にとってのノマド論

佐々木: 弱者にとっての新しい時代の生き方というのを、もう一回考えなければいけないな、という気持ちがすごくあります。この前ノマド論みたいなものをFacebook上で議論していたら、ある女性が「弱者のノマド論みたいなものがあってもいいんじゃないか」と言っていて、どうしてもノマド論というのは強い人じゃないと生きていけない、というのがありました。

 昔はジャック・アタリというフランスの人が「ハイパーノマド」と言っていて、外資系の銀行にいるトレーダーとか、スティーブ・ジョブズみたいなスーパープログラマみたいな人だけしか世の中を生きていけなくなる、というようなことを書いていました。

 たしかにそれだけを見ると強者しか生き残れないというイメージになってしまうんですが、一方である女性が紹介していた弱者のノマドというのは、たとえばレジ打ちがうまい人がいたとして、これまでの企業だったらそれしか仕事ができないからダメな人だと思われているんだけれど、今はレジ打ちがうまいと、その情報がネット上でつながることによってFacebookで広まると、そうすると他の会社から「ウチにも来てください」と次々に呼ばれる、そうすると自分の空いた時間だけ仕事ができるわけですね。

 子どもがいるお母さんが、今までだったらパートに出るしかなかったのが、何かスペシャルな技能を持っていれば空いている時間をうまくネット上でマッチングさせることによって、決して弱者としてではなく、持っている才能をより最適化して生きていける可能性が出てくる。

 そういう意味でノマド的な議論というのは、決して強者だけの話ではなく弱者も包摂し得るようになってくる。だから、今までのようなわれわれがイメージする「強い人・弱い人」というものとは別の形の「強い・弱い」という概念が出てくる可能性は多分あるんじゃないかと思います。

田原: だけどね、皮肉を言うわけじゃないけれど、今日のこの4人は強者のくせに弱者のフリをしているんじゃないかな?

佐々木: 鋭いですね(笑)。さすがはすべてをひっくり返す田原総一朗です。

慎: それは感じることではありますね。僕も児童養護施設に行って子どもたちと話をすると、そういうことがいつも気になるところです。自分はここで何をしているんだろう、とか思うんですが。弱者のノマド論というのは素敵だな、とお話をうかがいながら思いました。しかし、たとえばレジ打ちが上手な人だとそれができると思うんですが、取り立てて得意芸みたいなものがない人がいたとして、その人が何か付加価値を提供しようとした場合にはどういう可能性があるでしょうか?

佐々木: でも、取り立てて何も才能がない人ってそんなにいるのかどうかという疑問があります。僕は「世の中の人は全員専門家である」という論を主張していて、たとえば「コンビニでバイトするしか能がない若者」みたいな言い方をよくするでしょう。でも、その彼だってコンビニで10年バイトしていればコンビニのプロなんですよ。

 彼はコンビニのなかのことについてよく知っているし、コンビニ労働の問題についてもよく知っている。だったらそのスペシャリティを活かせる場所がどこかにあるはずだ、と思っています。だから、まったく何もできない単純労働者というのは、イメージとしてはわかりやすいんだけれども、それはどうなんだろう、と。

田原: ただ問題はね、自分にどういう能力があるんだろう、ということを自分で発見するのは簡単じゃないですよ。そんなことはできない人が多い。それはどうすればいいのかな? みんな強くなる能力はあるっていうけれど、ほとんどの人はそれを自分では発見できないんじゃないですかね。

佐々木: そこでこそコミュニティ論になってくるんじゃないですかね?

高木: 僕は自分で能力を発見するのも難しいと思うんですよ。運良く成功体験があったりしないといけないし、それをもってチャレンジするということも勇気がいるからほとんどの人はできないと思うんですよね。

 僕はたしかに弱者のフリをしているだけなのかもしれないですが(笑)、それでもたとえばシェアハウスというシステムは僕が始めたわけではなくて、いろいろな人がやっているわけですから、そういうフレームがあって実際のサンプルというか実験台が見られたら、そういうふうにフレームを提示することによって、「ああ、じゃあできるんじゃないか」というふうにハードルを下げていくことはできると思うんですよね。

 ですから、そこを作っていければ、そのなかで何をしようか、というのは用意できると思うんです。マイクロファイナンスにしても、働きながら社会を変えるということも、一つの新しいロールモデルの提示というか、そういうことがたくさんできていけば、いちばん自分に合ったものを選択する機会もできるし、それに一歩踏み出すこともしやすいと思うんです。

佐々木: 自らまったく努力をしないで自分のやりたいことまで見つからないという人まで、果たして包摂する必要があるのかという議論はありますね。一生懸命やっているけどうまくいかない、という人はもちろん包摂性の議論の対象になると思うのですが、結局日本社会というのは昔から社会主義的だと言われている通り、努力する人しない人を含めてすべての人が救われなければいけないというのが常に大前提になっているように思います。

田原: それだとヒトラーになってしまう。

佐々木: そうなんです。国家社会主義になってしまう。

西田: でも、ある意味で「ぬるい社会」が幸せな社会だと思うんです。それはどういうことかと言うと、一つの物が覆い尽くさない社会だと思うんです。つまり、本当ならノマドもいて会社員の人もいて、まあ別にノマドが失敗したら会社に戻れて、怪我をしても死ななくていい、と。だけど、残念ながらそうはならなそうだ、これからそんな社会はやってこないようだ、と。

 本当はそういうぬるい社会を念頭に置きながら、どうなっていくのかというと、不幸にして新しい物を採り入れていかなければならない、ということだと思います。すでに古いものがあるわけで、つまり、昔ながらの安全保障とかセーフティネットのシステムがあって、社会保障は回っているわけです。

 でも、それが機能不全を起こしている。そうすると、今は新しいものの配分をどこまでにするかというせめぎ合いの調整の段階だと思うんです。ノマドが今までの社会保障を覆い尽くすのではなくて、ノマド的な社会保障がどこまで可能なのか、どのくらいの範囲までは削ることができていくのか、という調整の段階だと思うんですね。

田原: なるほど、おもしろいですね。本当におもしろい。

佐々木: だんだん田原さんも乗ってきましたね(笑)。今は移行期だと思うんですね。思うに、日本人というのはムラみたいなものがすごく好きなので、多分時代を経るとムラ的なものがまた出てくる。日本だって戦後社会が始まって農地解放が行われるときに、やはり10年、20年くらいの間はムラがなかったんです。農村から次男坊、三男坊が都会に出てきて、どうしたらいいのかわからないから右往左往していたんですね。しょうがないから、みんな共産党に入ったり新興宗教に入ったりしていたんですが(笑)、それがだんだん企業社会が包摂してくる動きが出てくる。

 多分今の時代というのは、企業社会というムラが消滅してどこかで新しいムラ、それがもしかしたらシェアハウスなのかもしれないですが、新しいムラが生まれてくる。それまで10年、20年かかるかもしれないですが、その移行期の混乱みたいなものがこれから続くんだろうな、という予感を多くの人々が覚えていて、今より貧しくなるかどうかはわからないけれど、50年先にはまた安定した社会がやってくるだろう、それまでの移行期をどう生き残るか、というのが今の時期に非常に重要なテーマになっているし、それに対する答えは誰も提示していないので、ここにいるような人たちがいろいろなことをやっている。そういう試行錯誤の末に、また新しいムラが生まれてくるんじゃないかと思います。

田原: 35才を過ぎちゃうとね、やっぱり今までの社会に取り込まれているからね、すでに。慎さんなんかがいちばんギリギリだね。

慎: ギリギリですね(笑)。あと5年しかないです。

田原: いや、この間の「朝まで生テレビ」では、こういう人を出さなければならなかったんだね。失敗したよ(笑)。顔ぶれがまったく違ったね。

佐々木: まあ、どんどんみんな年を取っていくので、若手批評家と言われている人たちも気がつけば中年批評家になってしまうわけで(笑)、今みたいに時代の流れが物凄く速い時期というのは、本当に考え方というかマインドセットそのものがけっこう短い範囲でどんどん変わっていかざるを得ない。良いか悪いかと言えば、良いところも悪いところもあると言わざるを得ないんだけれど、たいへんはたいへんだと思うんですよ。

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