佐々木俊尚「ブレイクスルーな人たち」
2012年04月07日(土) 佐々木 俊尚

佐々木俊尚×田原総一朗×80年代生まれの若者4人第一回「公共が壊れていく時代をぼくたちはどう生きていくのか」

21世紀の生き方第二弾

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佐々木: 前回「21世紀の生き方」と題して好評だった企画の第二弾を、今回はシェアハウス「トーキョーよるヒルズ」で行います。この現代ビジネスの座談会はいつも講談社の会議室でやったんですが、今日はシェアハウスでコタツに入って行うという変わった形でやっています(笑)。

 前回は、今回ご出演いただいている高木新平さんのプロデュースでノマド的な生き方をしている5人の若者に話を聞くという企画をやって、たくさんの人たちに反響をいただきました。前回の話は、これからの新しい生き方が生まれてきていますよ、ということで、企業に属さずしかも従来のフリーランスとは違う形でどうやって生きていくのか、というお話でした。

 それはすごく強い生き方というわけではなくもっとゆるいものです。前回の対談のなかで玉置沙由里さんという方が「山下清みたいなフリーランスというのもいいんじゃないの」と言っていたように、「ゆるい生き方も可能なんじゃないか」という新しいこころみがどんどん生まれてきている。そういう選択をする人たちがどんどん出てきているよね、という話をしたんです。

 ただこの前の議論で少し話題になったのは、「でも、それってできる人しかできないじゃないか」ということです。すべての人がそういう生き方ができるわけではない。会社に属さないと生きていけない人もたくさんいる。あるいは、いわゆる従来の社会的弱者といわれる人たちはどうするのか、という問題があります。そういう人たちを全部取り残しておいて、それでノマドだとか言って、自分たちだけやりたいようにやるぞ、という生き方は本当にいいのかどうか、という議論が、ここ最近のノマド論においてはずっと言われていることなんですね。

 これはノマドの問題に限らず、以前から「社会的な包摂性」というテーマでいろいろな人が語っていて、内田樹先生や宮台真司先生とかも語っていらっしゃる。つまり、従来の農村や戦後の企業社会のような、いわゆるムラ的な中間共同体が、ついに何百年ぶりかで日本の社会から消滅しつつあります。そういう状況のなかで、われわれははたして中間共同体なしで生きていけるのかどうか。

 ノマドという考え方は「もう中間共同体なんか要らないじゃないか、直接社会と向き合おう」という考え方の一つなのかもしれません。一方で、そんな生き方をすべての人ができるわけではない。だったら、そこでその社会的な包摂みたいなものをどうやってこれから維持していくのか、ということをキチンと考えなければいけないんですね。

 ただ他方では、今はまだ企業に属して終身雇用に守られている人たち、年齢でいうと40代から50代の人たちは、そんなことを考える必要はないわけです。ちゃんと企業年金ももらえるし、終身雇用で定年まで大丈夫でしょう、という状況。ところが今の20代から30代半ばくらいまでの層にとっては、多分自分たちが老後を迎えたりシニア層になる頃には、そもそも年金ももらえるかどうかはわからない、終身雇用も多分崩壊しているだろう。さらに言えば、日本のビジネスとか産業界そのものが本当に今のような豊かさを維持できるかどうかもハッキリわからない。

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