喉元に匕首を突き立てられても日本の指導者らには為す術なし---
脆弱な防衛構想で北朝鮮ミサイルや中国の領海侵犯に対抗できるのか?

〔PHOTO〕gettyimages

 一国の最高指導者には、安全保障についての基本的識見が必要である。それは、彼の仕事が国民の生命と財産を守ることだからである。ところが、指導者予備軍に対して、安全保障の知識を授ける基礎教育を行ってこなかったのが、戦後の日本である。

 戦後の論壇、教育界は左翼に牛耳られてきた。いわゆる進歩的文化人が、岩波書店や朝日新聞といったメディアを使って、ユートピア的な理想主義を唱えてきた。東京大学でも、私が学生の頃には、軍事についての講義などは全くなかった。私が大学に残って教育・研究に携わっていたときでも、安全保障などという名を冠した講座など作るべくもなかった。「平和研究」ならよいが、「安全保障研究」は駄目だというのである。

 ある自衛官が国際政治状況について議論するために、ある東大教授を研究室に訪ねたところ、大問題とされ、「キャンパスが軍靴に踏みにじられた」という極端な論調まで出てきたことをよく記憶している。

 このような日本の状況は、私が留学していたヨーロッパとは大きく異なった。何度となく戦火を交えてきた欧州諸国では、「戦争研究」が盛んであった。それは、二度と戦争をしないために、まさに過去の戦争を研究するという真摯な反省の態度があったからである。だから、留学先で、私は、日本の自衛隊の兵力構成について即座に答えることができずに恥をかいたものである。

 今日の日本の政局は、「社会保障と税の一体改革」を中心に動いており、外交や防衛について真剣に議論する雰囲気はない、防衛大臣に「素人」や「ど素人」を任命する感覚からしてそうである。また、外交に自己陶酔(ナルシシズム)は禁物である。野田首相に任命責任があることは論を待たない。

 しかし、北朝鮮は4月には「人工衛星」と称して弾道ミサイルを発射する予定である。また、中国は、尖閣諸島をはじめ、日本の領海や排他的経済水域を侵略する構えである。内政の失敗では容易に国は滅びないが、外交や防衛での間違いは国を滅ぼす。戦争は、その最たるものである。

 したがって、国会議員たる者、安全保障について最低限の知識は不可欠である。しかし、外交や防衛は票にならないので、税金や社会保障の話が選挙で話題になる。橋下徹大阪市長の維新の会の政策にしても、外交や防衛については、ほとんど白紙と言ってよい。政治家どうしで国防の議論がまともにできないし、やっていない。だから、この国は危機的な状況なのである。

定義不明の「動的防衛力」

 防衛構想は、防衛官僚がひねり出している。1976年には、「基盤的防衛力構想」が打ち出された。1978年にヨーロッパ留学から帰国した私は、この構想を完成させた久保事務次官と議論する機会があった。ヨーロッパの安全保障を研究してきた若い学徒にしてみれば、全く不可解な構想であった。しかし、財政的制約、政治的歴史的制約を前提にすれば、当時の日本にとっては、それなりに意味のある構想であった。

 防衛アレルギーを醸成させた進歩的文化人が闊歩する日本では、学力に例えれば、当時の防衛力は小学生程度の水準であった。そこで、それを中学生並に引き上げるために、全分野の底上げ、つまり、国語、算数、理科、社会など全教科の基礎学力アップに全力を傾注したわけである。

 この構想は、その後も基本的には引き継がれたが、昨年、それは「動的防衛力」構想に取って代わられた。政権交代があったことがその引き金になったかどうかは、定かではない。しかし、防衛白書などを熟読しても、「動的防衛力」とは何かがあまりはっきりしない。「動的」の反対は「静的」であるが、では、基盤的防衛力が「静的防衛力」なのであろうか。

 たとえば、脅威の認識である。ある国の軍事力が日本にとって脅威だというときに、その能力と意図とが問題になる。しかし、意図をあまり詮索しても意味がないので、能力に着目して、日本も対抗手段を用意する必要がある。これが、基盤的防衛力構想の背景にある考え方である。しかし、今回の動的防衛力構想では、能力のみに着目することはやめるとされている。では、何に注目するのか。

 そして、北朝鮮の弾道ミサイルへの対処や中国の海洋活動への対応は、動的防衛力構想下では、具体的にどうなるのか。政府は、これらの問に明確に答えねばならない。軍事について真剣に教えることのなかった戦後教育のつけが、今まさに日本を滅亡の淵に立たせている。

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