1年前、選手会長の嶋基宏らは被災した地元の姿に言葉を失い、何ができるか語り合った「野球の底力を」楽天感動スピーチ誕生の舞台裏
(左)4月7日、震災後に初めて仙台入りし変わり果てた光景に身を乗り出す選手たち (右)震災を報じる新聞を前に、話し合いを続ける(左から)鉄平、平石洋介、嶋の各選手
(左)女川町で、神妙な面持ちで報道陣の囲み取材に応じる岩隈久志(左)と鉄平の二人 (右)4月8日に宮城県女川町を訪れた楽天ナインは、しばらく茫然と立ち尽くしていた

 被災地・仙台(宮城県)を本拠地にする楽天にとって、震災が起きてからの日々は苦闘の連続だった。当時、球団広報として、チームの様子を動画に収めていた岩越亮氏(33)が語る。

「震災当日は兵庫県の明石でロッテとオープン戦をしていて、私は球場内で事務作業をしていました。携帯電話の報知音が鳴ったので確認すると、地震の速報が入っている。『また地震か』とチラッと見て作業に戻ったのですが、改めて確認してギョッとしました。震源が宮城県沖で、しかも震度6の揺れ・・・。もうオープン戦どころではありません。ロッテと話し合い、8回で試合を打ち切りました」

 ここから楽天の1ヵ月にわたる流浪が始まる。交通網が遮断され仙台に戻れず、横浜、名古屋、福岡と、他球団の球場を間借りしながら練習を続けたのだ。

「各宿泊先に設置した災害対策本部に籠もり、選手や職員の家族への対応や安否確認に追われていました。(山﨑)武司さん(43)は『野球をやっている場合じゃない』と話していましたが、選手の多くも同じ考えだったと思います」(岩越氏)

 ホテルの一室では、練習後に選手会長の嶋基宏(27)や鉄平(29)らが集まり、自分たちに何ができるのかを毎晩話し合った。岩越氏も、その場に参加している。

「他の球団と違い、楽天の選手は家族の多くを仙台に残した被災者でもあります。『義援金を送るのは他人事のようで反対だ』と言う選手もいました。話し合いが3時間に及ぶ夜もありました。私はその様子を毎日見ているうちにこう思ったんです。『地元のヒーローである彼らが東北に帰らずもどかしい思いをしながらも、遠い地で真剣に議論し悩んでいる。そうした姿を被災地に伝えるのが、一番喜んでもらえるのではないか』と」

 こうした議論の結果生まれたのが、4月2日に行われた日本ハムとの慈善試合(札幌ドーム)でファンや被災地の人々を感動させた、嶋のスピーチだ。