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原発事故直後、「患者を捨てて逃げた」と報じられた院長たち。誤報道はなぜ起きたのか 双葉病院(福島・大熊町)の奮闘を
「逃亡犯」に変えた新聞・テレビ

3月11日の地震直後の午後3時過ぎ。双葉病院内で水漏れが起きたため、屋外に避難した患者とスタッフら

「私が鈴木院長に初めて会ったのは、昨年の6月のことです。それまでは、私も報道の内容から、〝沈没船から逃げた船長〟のような印象を持っていました。ただ、直接話をしてみて、これは何かおかしい、報道されている内容と真相は違うのではないか、と取材を始めたのです」

 こう語るのは、この度「なぜ院長は『逃亡犯』にされたのか」(講談社)を上梓した、ノンフィクション作家・森功氏だ。

 昨年の双葉病院をめぐる、医療関係者の〝逃亡報道〟を覚えているだろうか。原発事故下において、患者を置き去りにして医師やスタッフたちが逃亡した、〝悪徳病院〟として大バッシングを受けた事件である。だが、新聞・テレビが報じた内容と、事実は大きく異なっていたのだ。

 なぜ鈴木市郎院長(77)をはじめとする双葉病院の医師・スタッフたちは「逃亡犯」とされてしまったのか---。

地震によって書類や棚が散乱した院内。病院と福島第一原発とは、水素爆発の振動が足に伝わるほどの近さ

 3月11日、東日本大震災と、地震によって引き起こされた大津波が福島第一原発を襲った。12日に原発から半径10km圏内の避難が指示されると、自力で避難することが難しい入院患者などが、警察と自衛隊によって続々と救出されていった。12日のうちにほとんどの医療機関から救出が完了する中、なんと救援部隊に見放された医療機関があった。それが、大熊町にあった双葉病院と、系列の介護老人施設ドーヴィル双葉だったのだ。

 双葉病院には当時、高齢者を中心におよそ340名の患者が入院し、ドーヴィル双葉には入院治療までは必要としない98名の入所者がいた。総合医療施設である双葉病院の患者の多くは、片時も目が離せないような重症の人たちだった。特に東病棟の患者は平均年齢が80歳を超え、酸素吸入をしているICU患者など、自力で歩けるような患者は一人もいなかった。

鈴木院長(中央)とスタッフたち。浪江町生まれの院長は、決して饒舌ではないが、慕うスタッフは多い

 3月12日、大熊町の手配したバス5台が病院に到着し、双葉病院の軽症患者を中心とした209名が第1陣として避難を開始した。軽症とはいえ付き添いが必要な患者がほとんどであるため、大部分の医師やスタッフが同行。院長は129名の患者と双葉病院に残った。すぐに次の救出部隊が到着するという前提の判断だった。

 しかし、救出部隊の到着は遅れに遅れた。電気、水道、ガスなどのライフラインが断たれた状況で、蠟燭の明かりを頼りに院長とスタッフらは懸命に患者の看護を続ける。しかし、13日から14日にかけて、最初の犠牲者である82歳の女性患者など、4名が命を落としてしまう。

 14日にようやく救出部隊の第2陣が現れ、双葉病院内に残っていた129名のうちの34名と、ドーヴィル双葉に残っていた98名が搬送される。しかし、このバスはたらい回しにあい、受け入れ先のいわき光洋高校(いわき市)に到着するまでに3名、到着後の体育館では11名の死亡が確認される。結局、病院内のすべての患者の救出作業が完了したのは、なんと16日の未明のことだった。

院長らを襲う「報道の暴力」

 双葉病院とドーヴィル双葉の患者の犠牲者は、搬送先で亡くなった人数を含め、なんと50名にも上った。大熊町に隣接する双葉町にある双葉厚生病院には、12日の段階で200名近い患者がいた。しかし、犠牲者の発生は14日までで、末期の重症患者4名だけである。救出の遅れが、多数の犠牲者を出した原因であることは明らかだ。森氏は次のように指摘する。

「双葉病院が浜通り(福島県東部)で最大規模の病院であることやどういう患者が入院しているかは、県側はもちろん認識しています。本来ならば真っ先に救出に向かうはずであるのに、ここまで救出が遅れたということは、県の災害対策本部による情報の伝達や救出計画の手順に瑕疵があった可能性が高い」

 3月17日、患者の救出が完了し、ほんの少し安堵していた鈴木院長たちを待っていたのは「双葉病院バッシング」だった。午後4時頃に福島県の災害対策本部より配布されたプレスリリース(報道発表文)からすべては始まった。

〈施設には、結果的に自力で歩くことができない、重篤な患者だけが残された〉

〈双葉病院には、病院関係者は一人も残っていなかったため、患者の状態等は一切分からないままの救出となった〉

 県の災害対策本部では事実関係の把握がまったくできていなかったためか、事実に反する発表がなされてしまう。しかし、このプレスリリースが県側から配布されると、『Nスタ』(TBS系)を皮切りに、新聞・テレビには、〈福島・双葉病院 患者だけ残される 原発10キロ圏内 医師らに避難指示で〉(読売新聞)など、双葉病院の記事が一斉に掲載された。

鈴木院長が事故調に対してぶつけた、A4用紙で4ページにもわたる質問事項の紙を示しながら話す森氏

 患者の人命を優先し、救出に奔走した双葉病院の医師やスタッフが、あたかも患者を置き去りにして〝逃亡〟したかのような報道がなされてしまったのだ。県側の〝正式発表〟を、各メディアが鵜呑みにして流した結果だった。

 鈴木院長はすぐに県の災害対策本部へ抗議をするも、報道の一人歩きは止まらない。17日以降、双葉病院のスタッフたちのもとには、入院患者の家族たちから抗議の電話が殺到した。こうして、〝置き去り事件〟は生まれたのだ。

 森氏は昨年7月から週刊誌上で双葉病院〝置き去り事件〟の真相を短期集中連載で紹介。11月にも鈴木院長と渡辺周防衛副大臣との鼎談を実現し、事態の究明に努めてきた。だが、鈴木院長たちが着せられた、「逃亡犯」という汚名は完全に晴れてはいない。前述した書の中で、鈴木院長はこう語っている。

なぜ院長は『逃亡犯』にされたのか
関係者の証言を基に、「置き去り事件」の虚報を暴いた一冊だ

〈一度こうなると、どうしようもありません。娘なんかは非常に悔しがっていますけれど、正直にいえば、いまさら名誉回復してもどうにもならない。悪者なら悪者でけっこうだというあきらめはあるんです。ただし、こんなふうになった原因については解明しなければならない、とは思っています。亡くなった患者さんのために・・・〉

震災から1年が経過し、全容解明に向けた動きも出始めている。政府の事故調(東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会)が調査を開始しているという。

「事故調が鈴木院長をはじめとする関係者にヒアリングを実施していると聞いています。私たちも、今後の災害対策のために、今回の震災の際に何が起きたのか、自治体にどのような瑕疵があったのか、報道の検証を含めて、究明していかなければなりません」(森氏)

 真相の究明こそが、犠牲者への最大の弔いとなるのではないだろうか。

「フライデー」2012年3月30日号より

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