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直撃スクープ!
あのAIJから「未公開株」をもらっていた財務省元幹部

 巨額の年金資産が消えたAIJ投資顧問事件。財務省元幹部が、AIJ系列の『アイティーエム証券』(以下、ITM)の未公開株を取得していた事実を本誌はつかんだ。

 本誌が入手したITM証券の'11年3月期の事業報告書を見ると、元大蔵省主税局企画調整室長を務めたキャリア官僚で、その後政治家に転じた後藤茂之氏(56歳)の名前が株主欄に登場する。200株(持ち株比率0・55%)を保有する第9位株主なのである。

「いやあ、痛いなあ・・・・・・」

 長野県諏訪市の地元選挙事務所。本誌の直撃取材に、後藤氏は何度もそう呟き、苦々しげな表情を浮かべた---。

 AIJ投資顧問は、'02年6月頃から「ミレニアム・ファンド」と称する外国籍の私募投資信託を3本組成し、全国の年金基金に猛烈な営業攻勢をかけて、売りまくっていた。

 その販売部隊を担ったのが、グループ会社のITM証券だ。販売や証券保管などにかかる手数料の大半はITMに入っていた。

 ITM証券は山一證券出身の西村秀昭社長らが'98年に設立。開業当初から、倉橋正治氏という外資系証券出身の仕手筋と取引があった。日本証券業協会から「不都合行為者」とみなされていた札付きの倉橋氏を香港子会社の役員としてひそかに迎え入れ、多額の信用取引を許していた。

 しかし、その倉橋氏の仕掛けていた大規模な仕手戦が'02年に失敗に終わり、倉橋氏は相場操縦の容疑で逮捕されてしまう(懲役2年執行猶予4年が確定)。ITMは10億円近い損失を抱え、経営危機に陥った。そこに救済者として現れたのが、倉橋氏と旧知のAIJの浅川和彦社長だった。

 AIJと組んだITMは'03年9月、日本橋の同じビルに入居。AIJの営業・販売部隊となり、急速に業績を回復した。

「ITMの連中は長期の休みになると、よくソウルや香港に行っていた。カジノでも楽しんでるんじゃないかと思ってましたよ」

 今回、損を掴まされた都内の厚生年金基金の関係者はそう話す。浅川社長も、お気に入りの銀座のクラブに日参していた。

 しかし、AIJの運用は発足当初から多額の損失を出していたことが判明している。浅川社長らは、顧客に虚偽の運用報告をしながら、束の間の「あぶく銭」に踊っていた。

 一方、ITMは'07年秋、貯め込んだ利益で大量の自社株買いを行う。非上場企業が自社株を買うのは、既存株主への利益還元に他ならない。ITM証券の事業報告書によると、'11年3月期だけで約6割もの自社株を買い戻し、総額約15億円を株主へと支払っている。

 '11年3月末の株主名簿には、元財務官僚の後藤茂之氏のほか、正体不明の投資事業組合や京都の宗教法人の名前が並ぶ。この宗教法人は、浅川社長が野村證券京都駅前支店長だった時代の取引先の一つと見られている。AIJとしては、後藤氏が株主に名を連ねていることは、会社の信用力を担保する点で大きな意味があると考えたのだろう。

「反省すべきかもしれない」

 ITM証券の未公開株を受け取っていた後藤氏は、東京出身。東大法学部を卒業して大蔵省に入省、証券局総務課課長補佐や主税局企画調整室長などを務め、'95年に退官した。

「仕事はできた。予算編成の季節には『缶詰』と呼ぶ地下の仮眠室によく泊まり込んでいた」

 と、ある大蔵省OBは振り返る。

「彼のお父さんは有名商社の元役員で、お坊ちゃん育ちだった。代議士に繋がる家系の、大蔵幹部の娘と結婚したが、成田離婚。その後の省内での経歴はやや不遇だったね。ただ、接待好きで有名で、証券会社からの接待もよく受けていた。

 一度、そんなに接待を受けて大丈夫か、と聞いたら、『当たり前じゃないですか。それも仕事のうちですよ』と答えたのを覚えている」(別の大蔵OB)

 結局'95年に大蔵省を退官し、政治家に転身する。'96年、新進党から落下傘候補として長野4区から出馬するも落選。4年後、民主党から出て何とか初当選を果たした。が、'03年には民主党も離党、今度は自民党に移る。2回の当選を重ね、国土交通政務官に抜擢されたが、前回'09年の政権交代選挙で苦杯を嘗め、現在は浪人中だ。後藤氏本人に株取得の経緯を聞いた。

「買ったのは初当選の前、'98年から'00年の間だと思う。当時、ベンチャー企業の仲間と勉強会をやっていて、そこで面白い会社がある、と紹介されたんです。山一にいた優秀な連中が新しい金融商品を始めるという話だった。当時、相続した現金が1億円ほどあり、中古マンション2つとベンチャー企業3社に投資した。ITM証券に投資したのは1000万円でした」

 後藤氏の資金管理団体「藤信会」の政治資金収支報告書を見ると、'01年と'02年、ITM証券にパーティー券をそれぞれ40万円買ってもらっている。'00年には、西村社長個人からも50万円の寄附を受けている。

「西村社長に会ったのは勉強会で1回だけ。ITMの事務所に行ったのも払い込みの時だけ。献金はこちらからお願いしたと記憶しています。その後、落選した時に西村社長が10万円寄附してくれました」

 相場操縦事件の舞台だったことや、肝心のAIJとの関係についてはどうか。

「相場操縦?それは知らなかった。'03年頃、社員が持ち逃げして経営が苦しくなったというお知らせは来ていた。それで僕としては、この会社はもうダメだな、株は無価値になったなと思ったんです。その後も年に1回は決算報告書が来ていたと思うけど、ほとんど見ていない。株主総会に出たこともない。委任状くらいは出してたけど、それも'03年頃まで。党の政調副会長や行革本部事務局長などで、忙しかったから。AIJ、浅川社長、と言われても、まったく知らない」

 前述の自社株買いによる利益還元についても否定した。しかし、「一度しか会ったことのない」人物の会社に、1000万円ものカネを投じるというのはどうも不自然だ。また、それだけのカネを投じておきながら、その後の投資先の動向にも無関心すぎないか。

「無関心と言われれば、確かにそうなんでしょう。反省すべきかもしれない。でも、不正が行われていても会社側がそれを言うわけがない。株主だから不正を見破れるわけではない」

 だが取材の終盤、後藤氏からこんな本音が漏れた。

「初当選まで個人のおカネを6000万~7000万円使ってた。ITMは数年で上場できると思っていた。ベンチャー投資で取り返したいという気持ちは確かにあったんだよね・・・・・・」

「未公開株で一儲け」という甘い誘いに乗ったのだろう。証券局にも在籍したエリート官僚、国会議員として、何をかいわんやである。

「週刊現代」2012年3月27日号より

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