雑誌
一っ風呂浴びに帰宅していた班目春樹・原子力安全委員長と突然の東京電力爆破予告/
スクープ公開!
『海江田ノート』原発事故との闘い

4月9日、福島第一原発を視察し、吉田昌郎所長(右)と会談する海江田氏。初公開となる貴重な一枚である

 本誌記者の目の前に、3冊のノートがある。ノートの持ち主は、福島第一原発の爆発事故に中心となって立ち向かった人物である。

 海江田万里・元経済産業相(63)。彼は事故直後から、原発を管轄する担当大臣として、誰が、どこで、何を語り、事態がどう推移したかについて克明に記録してきた。その海江田氏が本誌に口を開いた。

「このノートは、事故直後から私が経済産業相を辞任するまでの176日間の、原発との闘いの記録であり、私が実際に目の当たりにした真実の記録です。

 今年に入って、原子力災害対策本部など政府の震災関連組織で議事録が作成されなかったことが明らかになり、政府の情報管理の杜撰さが厳しく批判されています。しかし、私はそこに参加していました。私のノートを、事故から1年が経過する今、世に出そうと思います。

 事故直後は走り書きですが、東京電力の本店に統合対策本部が設置され、そこに常駐するようになってからは克明なメモを残しています。このメモの中には、公になっていない場面で誰がどんな発言をしたのかを記してあります。

 私に今できること、それは、人々の記憶から震災の時、何があったのかが抜け落ちていく中、〝生〟の記録を後世に残すことです。この記録は、還暦を過ぎた私が見届けることのできない、30年後、40年後に必ず意味を持つはずです」

津波を見て「これはダメだ」

原発事故直後から書きためていた3冊のノート。事故収束に向けての工程表も海江田氏が主導〔PHOTO〕鬼怒川 毅

 本誌は海江田氏から、事故発生から時系列で起きた出来事の聞き取りを始めた。3月12日午前9時04分、ベント(圧力容器内に溜まった放射性物質を含む蒸気を外部に排気すること)作業を実施---。同日午後2時には1号機で「ベント成功」の報告があった。その日の早朝、菅直人首相(65)は、原子力安全委員会の班目春樹委員長(63)を伴ってヘリで原発上空を視察し、そのことがベントの遅れに繋がったと批判されている。海江田氏は、ノートを繰りながら、当時の様子を語った。

「第一原発の1号機でベントが成功したとの報告を受けた時のことです。それでも1号機には冷却水が不足する恐れがあり、事態は切迫していました。この前後、原子力災害対策本部のメンバーは、拠点を首相官邸5階の応接室に移しています。危機管理センターの部屋は非常に手狭で、携帯電話も使えないなど不便だったからです。この応接室で最初に話し合わなければならなかった議題は、1号機に注水している真水が切れた後、どうやって炉心を冷やせばいいのか、でした。

 しかし、ふと見渡すと、班目委員長の姿がなかったのです。私は周囲に問い質しました。『班目委員長の姿が見えないようだが・・・・・・』。すると、こんな答えが返ってきたんです。『総理と現地視察をした後、(東京都)文京区内の自宅に帰ったようですが』。頭から血の気が引くような感覚に襲われました。

吉田所長から防護服について要求があった。〈ぜいたくかも知れないが〉〈被曝量をへらしたい〉とある〔PHOTO〕海江田氏提供

 私は、『すぐに呼び戻してくれ! 着替えに帰るくらいならいいが、家でのんびりされでもしたら困る』と声を荒らげました。閣僚や事務方の役人で、事故発生後から自宅に帰った者などおらず、着の身着のまま、食事も満足に摂らずに事態収拾に当たっていました」

 班目氏が首相官邸に姿を現したのは、約1時間後。髪やひげがさっぱりした様子から、一見して一っ風呂浴びてきたということが分かる格好で、悪びれもせず、官邸の応接室のソファにどっかり腰を下ろしたというのだ。しかし、班目氏が会議に戻って間もなく、事態は暗転する。3月12日午後3時36分、1号機で水素爆発と思われる爆発が起きたのだ。

5月13日と書かれた見開きの右側には、〈燃料がどこにあるのか〉とある。東電によるメルトダウン公表は5月15日〔PHOTO〕海江田氏提供

「この水素爆発を予測できなかった班目氏は、自信を喪失したのでしょう。その直後、菅首相から『海水を入れて、再臨界しないと言い切れるのか』と質問された際、周囲に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、『しないとは言い切れません』と返答し、注水中断を指示する事態を招いてしまったのです」

 3月15日、政府の原子力災害対策本部は、東京電力本店(東京都千代田区)に乗り込み、「政府・東京電力統合対策室」を設置した。以後、ここを本部として、ヘリコプターを使った空中からの海水散布や、3月22日からは、高層ビルの建設現場などで使用される生コン圧送機「キリン」による放水など、人類は〝怪物〟への「反撃」を試みていく。この頃の原発を語る上で、東電トップに逆らい、独断で原子炉への海水注入を続けた福島第一原発の吉田昌郎前所長(57)の存在は極めて大きい。海江田氏は、吉田氏との初会談をノートを見ながら回想した。

「吉田所長と面談したのは、3月27日の午後です。事故以来、初めて吉田所長が現場の福島を離れて東電本店に報告に来るというので、東電にお願いし、二人きりで会う機会を作ってもらいました。場所は東電5階の会議室。節電のため薄暗い部屋に吉田氏が入ってきました。

 吉田氏とは、東電本店に詰めるようになってから、毎日のようにテレビ電話で話していましたが、直接会うのはもちろん初めてです。長年文通をしていた友人に初めて会うような感覚でした」

 海江田氏によると、二人が交わした会話は、次のようなものだった。

「本当にお疲れ様です。最初はずいぶん無理も言いましたが、あなたの頑張りで何とかここまで来ました」

「ありがとうございます。私もできるだけのことはしようと思っていました」

「私はタバコを吸うのですが、吸っても構いませんか?」

 海江田氏がこう尋ねると、吉田氏は相好を崩したという。

「よかった。私もタバコ吸うのですよ」

 二人でタバコを燻らせながら向き合って座り、語り合ったという。

地上からの放水に活躍した「キリン」は、チェルノブイリの際、炉にコンクリートを流し込む石棺化で使用

「吉田氏は指にタバコをはさみながらぽつりぽつりと語り出しました。地震当時は所長室にいたこと、地震そのものに発電所は耐えられると思っていたこと、襲ってきた津波を見て『これはダメだ』と観念したことなどです。政府に要望があれば聞きたいと伝えると、放射線対応ができていない免震重要棟の遮蔽性や密封性を高める工事や、作業員の居住空間の改善策といった、現場の作業員の安全や生活に配慮した要望を出してきました」

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら