[サッカー]
田崎健太「広山が望むもの<vol.3>」

リッチモンド・キッカーズとの契約を勝ち取った広山

 リッチモンド・キッカーズのテストには、前年度のチームに所属していた選手たちも参加していた。中には、ブラジル人、カメルーン人、ドイツ人もいた。育ってきた文化、背景の違った選手たちの中でサッカーをすることに広山は懐かしく、愉しみを感じた。

 もちろん、日本のクラブでもブラジル人選手とプレーした経験はあった。しかし、自分が外国人選手としてプレーをするのは、また異なった感覚である。これまでの経歴、プレースタイルを知らない外国人選手たちに、自分のプレーを認めさせなければならない。そうした、緊張感を味わったのは久し振りのことだった。

日本と海外のギャップ

 かつて、広山はジェフユナイテッド市原(現千葉)からパラグアイのセロ・ポルテーニョに期限付き移籍した後、こんな風に語ったことがある。
「日本にいると、周りの目もあって、自然とプレーを限定してしまうことがあるんです」

 ジェフ時代の広山は、サイドプレーヤーとして縦への突破を期待されていた。状況判断に優れているので、簡単にボールを失うことはないという信頼もあった。そのため、自分が行けると思った時だけ、前を向いた。ところが、パラグアイでは違った。サイドプレーヤーでさえ、大切なのは得点だった。広山は時に強引にミドルシュートを打ち、得点を決めた。ジェフでは自分でプレーの幅を狭めていたことが分かった。

 リッチモンドのテストでも、前線に上がり次々と得点を決めた。自分を縛っていた軛から逃れたようだった。それまで所属していたザスパ草津では、得点よりも中盤での試合コントロールを期待されていた。
――経験ある選手として、周りを活かすプレーをしてくれ。
  という監督の考えを理解したつもりだった。しかし、期待に添うようにプレーしているうちに、選手として〝角〟がとれていた。テストを受けながら、広山はそのことに改めて気が付いた。

 テスト前に抱いていたアメリカサッカーのイメージと実際の感覚のギャップも、彼の関心を引いた。大柄な選手が多いアメリカでは、簡単にボールを前線に放り込むのかなと広山は想像していた。ところが、監督は「きちんとボールを繋げ」と指示を飛ばした。「アメリカでプレーしてみたい」。その思いが強くなっていった。

 南米や欧州では、現場を仕切る監督の他、経営側として現場を管理するゼネラル・マネージャー(GM)的な人間がいる。2人の意志疎通がうまくいかない場合、GMが選手を獲得しても、監督が気に入らず、試合に使わないという事態も起こる。逆にGMが強大な権力を持っている場合(時に会長が、GM的な動きをする。この場合が最も厄介であることが多い)、彼が勧める選手はチーム戦術を無視しても使わなくてはならない。しかし、リッチモンドの監督と話していると、選手起用は現場に一任されており、そうした悪習はないようだった。