堤堯 第1回「富士レイクサイドCCに降る無情の雨・・・伝説の青木功事件」

撮影:立木義浩

 店主前曰

 人生は出会いである。わたしが文藝春秋社の堤堯さんにはじめて会ったのは40年以上前のことだ。多分、新宿のバーのカウンターだったと記憶している。男と女の出会いがそうであるように、男と男も気が合うと瞬時にしてズブズブの仲になる。5歳年上の堤さんをわたしは親しみと敬愛の情を込めていつしか「堯ちゃん」と呼び、堤さんはわたしを「シマちゃん」と呼んでいた。

 橋の下を月日が流れ、堯ちゃんが『文藝春秋』の編集長になった。ときを同じくしてわたしも『週刊プレイボーイ』の編集長になった。編集長という職業は孤独なものである。それから2人は頻繁に会うようになった。何度か天下の『文藝春秋』の巻頭随筆も書かせてもらったこともある。

 堯ちゃんが局長に出世して、『文藝春秋』編集の発行人になったころ、開高健さんが亡くなった。彼の部下である編集長白石勝さんから開高さんの追悼文を書くように頼まれて、わたしは通夜の日、徹夜で30枚近い原稿を書いた。題して「研ぎすまされた哄笑」。それをいの一番に読んでもらいたかったのが堯ちゃんだった。

 今日はその大好きな堯ちゃんがカフェ・ド・シマジにやってくる。昨夜は寝る前に愛飲のシングルモルトを5,6杯煽ったが、興奮してあまり眠れなかった。そして、われらが堤堯さんは定刻より30分も早く来店してきた。

シマジ 堯ちゃん、今日は寒いなか、遠路はるばる有り難う御座います。早速、暖かいネスプレッソを入れましょうか。

 ああ、これがシマちゃんがいつも自慢しているネスプレッソ・マシンか。こんなに小さいものなのか。