サッカー
二宮寿朗「“ドラゴン伝説”続編への期待」

“規格外のストライカー”として今なおファンが多い元日本代表フォワード、久保竜彦の去就がまだ決まっていない。
  2009年シーズン限りでサンフレッチェ広島を離れ、JFLのツエーゲン金沢に移籍。1年目は9得点を挙げ、2年目となる昨季はケガで一時戦列を離れたものの、6得点をマーク。しかし、若返りを図ろうとするチームの構想から外れたために契約更新には至らなかった。JFLのチームを中心にいくつかのオファーはあったが、合意に近づけるものはなかったようだ。今は自宅のある広島へ戻り、地域リーグを含めて移籍先を探している段階である。

「まだ何も決まっとらんよ。年も35歳やし、世間の評価が厳しいという現実はわかってるんでね」
  電話越しの久保の声はいつもの自然体のトーンだった。

久保に立ちふさがったケガ

 筆者がスポーツ新聞で横浜F・マリノスの番記者を務めていたころ、広島から移籍した久保と出会った。口数が少なく、少々ぶっきらぼうと関係者から聞いていたが、イメージとは違っていた。確かに口数はそれほど多くないが、ゴールを決めた後のコメントはいつもキレていた。豪快なボレーでゴールを決めてしまえば「(トラップが)面倒くさかったから」。リーグ優勝を決めたら「きょうは朝まで飲む」。そう言うと、久保はニヤリと笑う。記事の見出しになるように、彼なりにリップサービスしてくれたこともあった。

 マリノスがリーグ2連覇を果たした03年、04年のころ、久保はストライカーとしてひと皮むけた。
  一瞬のスピード、高さのあるジャンプを含め、抜群の身体能力を活かせるようになりゴールを量産した。時折見せるアクロバティックなゴールは、ファンのハートをガッチリとつかんだ。代表でもエースの座にのぼりつめた。中でも右45度から豪快にシュートを突き刺し、強豪チェコをアウェーで沈めた一撃は、久保の知名度を一気に高めていくことになった。

 だが、高く昇ろうとすると必ずケガがつきまとった。右ひざ痛に苦しめられていた久保は、腰に負担をかけていたこともあって04年途中に椎間板ヘルニアを発症。長期離脱に追い込まれてしまう。

 あのとき彼がどれだけ自分を追い込んでいたか――。
  様々な治療を試し、体質を改善するために断食を敢行したこともあった。リハビリも日々、目いっぱいのところまでやった。大好きだった酒は一滴も口にしないようになっていた。マリノスのスタッフも「あんなに自分を追い込んで大丈夫なんだろうか」と心配するほどだった。必死になってドイツW杯本大会までにコンディション調整を間に合わせた。本大会のメンバーには選ばれなかったが、間に合わせたことにプロとしての意地があった。

 衝撃の落選にも久保はショックの色を表に出すことはなかった。
「まあ(ドイツに)行けんけど、Jリーグで頑張るよ」
  あのときの久保の声も、いつものトーンだった。