美食は食道がんに通ず、のか? 飲みすぎ、食いすぎ、手術がコワイ人、必読の書「死なない練習」の著者・長友啓典が語る、「食道がん、その後の経過報告」インタビュー5

インタビュー4はこちらをご覧ください。

 長友啓典(ながともけいすけ)は1939年4月、コテコテの大阪、阿倍野区天王寺の旅館「新宿」の息子として生まれた。戦後すぐの小学校の頃は、どこにでもいるスポーツ小僧で日が暮れるまで三角ベースで野球をしていた。地元の文の里中学校に入学して「ラグビー」と運命的に出会う。ラグビーの名門天王寺高等学校に入学して、国体にも全国大会にも出場。ふつう文武両立の名門公立高校を卒業したら、大学でもラグビーを続けるのが常識だが、人とは違う道を見つけたい気持ちがムクムクわいてきて、気づいたら大学の受験シーズンは終わっていた。

 上京して、倉庫番、機械の修理工など職を転々。いまで言うプータロー、フリーターの期間が2年。そして「デザイン」とまたまた運命的な出会いをする。以来半世紀、たくさんの雑誌づくりや広告づくりにたずさわる一方で銀座のクラブ通い、食い道楽、ギャンブル道楽、ゴルフ道楽にいそしむ。2009年、70歳の冬に町医者での検診で初期の食道がんが発見され、翌年がん除去手術のために入院。手術は無事に成功し3週間で退院した。

ボクの修行時代はエンピツ削りが修業の第一歩だった

 ---グラフィックデザインの現場というのはずいぶんと様変わりしているように思われるのですが、最初から「トレーススコープ」(画像を拡大縮小する機械)のようなものはあったんですか?

長友 ありました。ただボクなんかの修業時代は拡大するときは、画像を見てなぞって描くということをやってました。それと夜店の屋台で売って拡大する変な機械もありましたけど、あんなんしたら手で描いたほうがましやったけど(笑)。

 ---仕事を始められたころというと、まだ活版印刷が全盛の時代だったのではないですか?

長友 ちょうど写植ができたころです。60年代の頭に写植屋さんいうのが出来始めたと思います。

 ---そうするとこれまで印刷やデザインの現場を全部経験していることになりますね。

長友 ボクらが入ったころは、就職祝い言うたらカラス口とかの製図道具でしたもの。製図、図案の世界ですよ。

 ---昔はデザイン事務所に入るとまずエンビツを削ることからやらされるということを聞いたことがありますけど。

長友 肥後守で削るんです。エンピツ削りは絶対にダメやった。朝、だいたい同じように削って並べて置いておくわけです。