プロスポーツ選手たちの「苦悩の日々」この孤独と不安に耐えられますか 己の才能の限界、予期せぬケガ、ライバルの活躍、短い選手生活、社会性のなさ

 引退までの約3年間、横浜FCに所属していた望月は、わずか2試合にしか出場していない。いやできなかった。

 望月が、医者から「もう辞めたほうがいい」と言われたのは、'04年のことだ。股関節に痛みを覚え、検査に訪れた望月に、医者は「特発性大腿骨頭壊死症」という、聞きなれない病名を告げた。

「ケガであれば、『全治何週間』とか言われるでしょ。そう思って来たのに、『もうできない』とお医者さんに突然決められてしまった。だから、それは『受け入れられません』と言いました」

 この時点で望月の大腿骨の付け根は、擦れて壊死した状態で、歩くことが困難になるほど脚の血流は悪くなっていた。

「それでも辞めるという決断ができなかった」

 発病から3年間、良くなる保証などない。それでもとにかくリハビリを続けた。

「望月は終わった」。そんな声が、当然のように聞こえてくる。

「もっともだと思う。でも自分で確かめたかった」

 そして2試合だけピッチに立った。そうしてやっと「もう無理だ」ということが自覚できた。

 サッカーの町、静岡県清水市で生まれ育った望月は、生まれながらのエリートだった。小学生でサッカーを始めて以来、目の前にはいつもライバルがいた。藤田俊哉(40歳)、名波浩(39歳)ら、恐るべき才能が身近にあった。

 望月は言う。

「休むのが怖かった、休めば藤田さんに追いつけない。名波さんに置いて行かれる、誰かに追いつかれてしまう」

 仲間にこそ弱みはみせない。自分の限界は自分で決めたい。

「辞めて初めて、ゆっくり深呼吸ができた気がしました」

 かつての勝負師の言葉に、そのサッカー人生の全てが詰まっていた。(文中敬称略)

「週刊現代」2012年2月18日号より