スポーツ

プロスポーツ選手たちの「苦悩の日々」この孤独と不安に耐えられますか 己の才能の限界、予期せぬケガ、ライバルの活躍、短い選手生活、社会性のなさ

2012年02月13日(月)
週刊現代

「フロントは僕の成績が安定しないから大村を獲得したんです。自らの不甲斐なさで自らの首を絞める結果になった」

 ライバルに対する焦りは、さらに柴原のバットを湿らせた。オフに年俸が3000万円ダウンすると、その胸中には、悔しさや家計の心配とは、また別の感情が去来したという。

「収入が下がったことのショック以上に、それでもまだ高額な給料にふさわしいプレーが、今の自分にできるのか、そのプレッシャーのほうがよっぽど大きかった」

 プロ野球選手の年俸は、シーズンオフに「翌年の給料」として更改される。その金額は、「今年の報酬」としての意味合い以上に、「来年はこの金額分働け」というメッセージのほうが強い。そして期待に応えられないと判断された時は、容赦なくクビを切られる。

 苦しむ柴原を尻目に、外野には、長打力が売りの多村仁志や、俊足の長谷川勇也など、新しいライバルたちがどんどん幅をきかせていく。

 そして'09年頃になると「はっきりと引退を意識するようになった」と柴原は言う。

「その年、開幕から24打席連続でヒットが出なかったんです。上手く当たったと思っても、野手の正面に飛んだり。ツキも離れてしまった。 そうなると、『いつか出る』といくら信じても、『打てないんじゃないか』という不安とプレッシャーに潰されそうになった」

 同僚たちの「そのうち出るよ」という言葉も、じわじわと重荷に感じるようになる。

 前足の踏み込みが悪いのか、肘が開いているせいか、スイングの軌道のせいか。いろいろ試してみても、ヒットが出ない限り、答えも出ない。

「考えてもわからないなら、とにかく練習するしかない。調子の上がらない時は、そうしてとにかくバットを振ることしかできないですから」

 柴原は毎日1時間、腰に負担をかけないように打ち込みを続けた。しかし、この年はプロ入り後最少の37試合にしか、出場することが叶わなかった。

 '04年の故障以来、毎年、毎月、毎日。そうして徐々に積み重なった圧力に耐えかねて、昨年、プロ野球選手・柴原洋の緊張の糸は、プツリと切れたのだ。

 そして37歳にもなって、野球以外何もして来なかったことに気づく。

「現役中はシーズンとその前後合わせて8ヵ月は家を空けているようなもの。子供を旅行に連れていくこともできない。ケガが怖くてスキーもできないし、包丁も握れなければ日曜大工もできなかったですから」

 どんなスポーツであれ、プロで活躍するために、多くの選手は、その人生の大半をそのスポーツに捧げているはずだ。

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