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金正男が語った「正恩への嫉妬」と「野望」
中国が〝隠し玉〟として保護する男

 反体制ビラが撒かれ北朝鮮暴発の不安が高まるなか、中国は正恩体制崩壊に備え、この男を「改革開放」のキーマンと位置づける

「北朝鮮で現在の体制が崩壊した場合、最も直接的な影響を受けるのは中国です。1300kmにわたって国境を接しているので、脱北者がどんどん逃げてくる。中国国内には朝鮮半島に由来する少数民族の朝鮮族がいますから、脱北者が増えれば、中国国内も混乱するでしょう。中国外務省や共産党指導部は、40年、50年先までを見据えた視野で仕事をしています。現体制崩壊となった時、中国は『彼』を何らかの形で使おうと考えているのかもしれません。言わば、手の奥に握っている〝隠し玉〟でしょうね」

五味洋治氏は、「三代世襲をした正恩氏にとって今年は最も重要な年になる」と語る

 こう語るのは、最近上梓され話題となっている『父・金正日と私 金正男独占告白』(文藝春秋刊)の著者で東京新聞編集委員の五味洋治氏だ。「彼」とは、言うまでもなく、昨年12月17日に亡くなった北朝鮮・金正日総書記の長男・金正男氏(40)である。

 五味氏は、'04年に北京空港で偶然に遭遇した時を含めて、3回、正男氏と直接言葉を交わしている。著書では、計7時間にわたるインタビュー内容と、その前後の150通にも及ぶメールのやりとりを公開した。その中で、正男氏は、弟である三男の金正恩氏(29)への世襲や、北朝鮮の先軍政治を公然と批判しているのだ。

「彼は現在の北朝鮮の体制に批判的でした。'11年1月にマカオでインタビューした時は、『父上も世襲には反対だった。世襲体制になってしまったのは、内部要因があったからだ』と言っていました。その内部要因というのは軍部だと言うのです。軍部といっても120万人もいますから、『軍部の誰なんですか』と私は何度も聞きました。

 おそらく、彼の中には特定の人物がいるのでしょうが、答えませんでした。年下の正恩氏が後継者になったことに対し、嫉妬に似た感情があるのは間違いありません。彼は『長男として』とよく口にするのです。しかし、北朝鮮では正男氏は長男として扱われていません。(次男の)正哲氏(30)が長男で、正恩氏が次男だと言われているのです。

 でも、海外での経験や資金運用の知識もあるという自負があるのでしょう。正男氏は、『経験のない正恩が後継者に選ばれてしまった』と批判していました」(五味氏)

 このような批判は、金総書記の死後、さらに強まっている。著書で紹介されているメールの中で最も新しい'12年1月3日のメールでは、正恩体制の今後について、正男氏は次のような見解を述べている。

〈この世界で、正常な思考を持っている人間なら、三代世襲を追従することはできません。三十七年間の絶対権力を、(後継者教育が)二年ほどの若い世襲指導者が、どう受け継いでいけるのか疑問です。若い後継者を象徴として存在させ、既存のパワーグループが、父上の後を引き継いでいくとみられます〉

 実際、発足したばかりの金正恩体制は盤石とは言いがたい。1月19日には、咸境道地域で、「金正恩打倒」「金正恩体制では北朝鮮の未来がない」などと書かれたビラが大量に発見されている。

 今後、正恩体制は崩壊へと向かうのか、それとも、中国のように改革開放へと大きく舵を切って経済の立て直しを図るのか。---どちらの道を歩むにしても、今後の北朝鮮のキーマンと中国が位置づけるのが、金正男氏なのだ。その彼の素顔と、秘めたる野望を見ていくことにしよう。

高倉健と真田広之が好き

 金正男氏と言えば、'01年に「ディズニーランドに行きたかった」という理由で、日本に不法入国した際のふてぶてしい顔つきが印象に残る。あの事件を機に、彼は母国の指導者後継レースから完全に脱落したと言われている。'95年からは母国を出て中国に長期滞在するようになり、韓国メディアなどによると、現在は北京に住む妻子と、マカオで暮らす愛人との二つの家庭を行き来する生活を送っているという。正男氏の人となりについて、五味氏は次のように話す。

「彼については、私も放蕩息子というイメージが強かったのですが、実際に会ってみると、博識で物腰の柔らかな紳士でした。会話をしていると、人懐っこいところがあります。こちらが聞いてもいないのに、『日本には5回訪れている』と言い、『新宿の焼き肉屋や新橋のおでん屋が懐かしい』とか『スイスの温泉にも行ったけど、熱海にはかなわないね』などと私の気を引いて喜ばせるようなことを言うんですね。サービス精神が旺盛なんです。『高倉健と真田広之が出演している映画が好きだ』とも言っていました。

 また、彼は携帯のショートメールが好きで、私と会っている時も、ずっと誰かと楽しそうにメールのやりとりをしていたのが印象的でした」

 五味氏が正男氏と初めて出会ったのは中国総局に勤務していた'04年のことだった。北京空港で偶然見かけた正男氏に名刺を渡したのを機にメールでのやりとりが始まった。その後、一度は正男氏からのメールが一方的に途絶えたが、'10年10月に復活。'11年1月13日にはマカオ、同年5月16日には北京と、2度にわたり金氏と接触し、直接言葉を交わした。

「彼は大食漢なんですが、酒を飲む量もものすごい。北京では高層ビルの80階にある高級バーで酒を飲みながら話したんですが、日本円で一杯4000~5000円もする高級ウイスキーを、ストレートで何杯も飲んでいましたね。私は二杯でもう酔っ払ってしまいましたが、彼は相当酒に強いですよ。また、中国人民元の100元札とクレジットカードがビッシリ入った分厚い財布を持っているんですが、なぜかカードは使わず、紙幣で払っていました。投げるようにして支払うから、札がヒラヒラと床に落ちるんですが、まったく気にも止めず、いかにも『カネには困っていないんだぞ』という態度でした」(五味氏)

 正男氏が中国で何をしているのかについて、五味氏にもはっきりしたことは分かっていない。しかし、このバーで、「中国で何をしているのか」と改めて質問すると、「ヨーロッパで資金を運用して、その利益をアジアで使う仕事をしている」と正男氏は明かした。それを聞いた五味氏は「北朝鮮では政治的に失脚したとされているが、そういう仕事を通じて、今も母国とつながっていて経済的な支援も受けているんだな」と感じたという。

「正男氏が私のインタビューに応じた理由は、正恩氏への世襲によって、経済通として北朝鮮の仕事をしてきた自分の存在価値がなくなり、北朝鮮から切られてしまうのではないかという焦りからだったのではないでしょうか。というのも、正男氏は私に対し、再三にわたって改革開放の必要を主張していたからです。正男氏にとって、北朝鮮で中国式の改革開放を実現することは長年の野望なのでしょう。父親にも直言したことがあると言っていました。経済政策通として改革開放の一翼を担うことで、北朝鮮で自分の立場を保ちたい、それが彼の目指す道なのでしょう」(五味氏)

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