日本の底力

余震の中で新聞を作るVol.47 ~除染に挑む・飯舘 その4

河北新報編集委員が記録する「被災地のジャーナリズム」

2012年02月01日(水)
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vol.46はこちらをご覧ください。

写真・文/寺島英弥 (河北新報編集委員)

55回目 ~除染に挑む・飯舘 その4

菅野宗夫さん宅でのミーティング

 寒の入り(1月6日)以後、東北では本格的な寒さが続いています。年が明けてから、初めて福島県飯舘村を訪ねたのは1月14日。空は快晴でしたが、朝の厳しい冷え込みがありました。標高400メートルの飯舘への登り道は凍結しているのに違いない---と、いつも利用している相馬市から国道115号線(至福島市)経由の急坂の峠ではなく、遠回りですが、勾配が一番緩やかな南相馬市から八木沢峠越えの県道を選び、ゆっくりと車を走らせました。

 村に入り、全村避難後の今は無人となった中心部の草野地区を過ぎ、さらに山越えの道を進むと、通行車両も少ないためか、路上は凍結した雪に覆われ、スタッドレスタイヤでも怖さを覚えました。目指す佐須地区の家々も田んぼも白く染まり、冬眠したような静けさ。目的地だった佐須の農家、菅野宗夫さん(60)=村農業委員会会長・現在は隣の伊達市で避難生活=の自宅の前には、先客の車が並んでいました。

 玄関を上がると、菅野さんと、田尾陽一さん(70)=工学院大客員教授=ら「ふくしま再生の会」のメンバー十数人が居間の長こたつを囲んでいました。再生の会は、田尾さんが呼び掛け役の1人となり、東京、つくばなどの一線の研究者、医師、プランナー、理工系のビジネスマンらが「専門知識を生かして飯舘村の人々の早期帰村を支援しよう」と昨年来、菅野さんら佐須地区住民と一緒に放射線測定や山林除染実験など多彩な活動、提案を行ってきました。会員は当初の70人から、現在150人に広がっているそうです。(『余震の中で新聞を作る』42、43、47参照)

実験の場所を選ぶ菅野さん(右端)ら

「きょうは、零下5~6度はあるな」と菅野さん。しんしんと凍てつく山村の冬にも、心身を温めてくれるものがあります。「お昼ごはんは食べたの?」と妻の千恵子さん(60)が、私の後から合流したメンバーたちの分と合わせて、湯気が立つ大きな椀をくださいました。手作り味噌の雑煮でした。昨年末に菅野さんがついたという、うまい餅が入り、そして、私にはなじみの汁の具が、古里の温もりを増してくれました。「『芋がら』だよ、分かるかい?」と、千恵子さんは東京から来た若い研究者たちに笑顔で問いました。そんな私たちの膝元を、外の寒さから一緒に逃れてきた猫が、仲間に入れろとばかりに駆け回ります。

 この日の新たな実験を提案したのは、土壌学の専門家で、再生の会メンバーとなって山林除染実験にも参加している溝口勝・東京大大学院農学生命科学研究科教授です(『余震の中で新聞を作る47』参照)。溝口教授が説明したそのアイデアに、私は正直、驚きました。

凍った田んぼの表土はぎ取り作業を見守る溝口教授

 菅野さんの田んぼの土は硬く凍りついていました。実験に選ばれた1枚の田んぼは、5メートル×40メートルの広さ。ショベルのある重機が止まっており、菅野さん、溝口教授らがあれこれと相談をしながら、東端の道路脇に当たる部分に着手の場所を定めました。

 長いアームのショベルが動き出し、凍った土をガツガツと削ります。すると田んぼの土は、菓子の最中(もなか)の皮のようにはがれていきます。薄く平べったい固まりになった表土を、溝口教授が抱えて見せてくれました。厚さ5、6センチ、もっと厚いものは10センチほど。その断面には、幾重かのまっすぐな氷の層がありました。土中の水分が凍ってできた「アイスレンズ」という現象だそうです。

 溝口教授によると、「土が凍る時には、凍結面に下から土壌水分が移動し、凍土の水分量は増加し、その下の土では低下する。そのため、凍土が乾いた土の上に載った状態になり、凍土が簡単に剥がれる」といいます。こういうメカニズムです。

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