爆笑!ああ、体育会の青春 先輩から人生の「理不尽」を学んだ日々

明大ラグビー部・PL学園野球部ほか
週刊現代 プロフィール
「寮生活で母親の偉大さも知りました」と話す上重氏

 この寮制度があるからこそ、チームは強くなる。そう話すのは、PL学園高校野球部の元エースで、'98年夏の甲子園で横浜高校の松坂大輔と延長17回の死闘を繰り広げた、日本テレビアナウンサー・上重聡氏だ。

「僕の4級下の学年から、野球部も普通科の生徒と同じ寮へ移ったんです。その頃から、PLが甲子園で活躍する機会が減った。やはり関係があったんじゃないか、と思います。僕らの頃は寮で精神面も徹底的に鍛えられていたから、甲子園でも全く緊張しなかった」

 桑田真澄や清原和博ら、球史に残る選手を輩出してきたPL野球部だが、練習メニューは普通の高校とあまり変わらなかったという。練習が終わり、野球部だけが入居する寮に戻ってからが真の正念場だった。

「当時のPL野球部は相撲部屋のような付き人制で、1年生が3年生の身の回りの世話を全部するんです。炊事に洗濯、掃除と、もう『野球する主婦』です(笑)。

 夜、洗濯板と洗濯ブラシで先輩のユニフォームを手洗いし、次の朝には枕元にきちんとたたんで置いておく。就寝の時間は決まっているんですが、一度寝たフリをした後しばらくして起きて、残った洗濯を片付け、朝は4時起きで朝食の準備をする。起床時間の6時より前に起きて支度をしないと間に合わない。起きだしてきた先輩に朝食を出して、先輩が食べている間に布団を上げて・・・」

 その頃の寮は、一部屋に各学年が2人ずつの6人部屋。1年生は、上級生4人に囲まれての生活である。

「先輩がいる部屋では、常に緊張して息が詰まる。授業に出て初めて一息つけるんです。朝早くても、4時に先輩を起こすといけないから目覚ましも使えない。どうするかというと、目覚まし時計は時間になるとカチッと音がして、それから鳴り始めますよね。そのカチッという音で飛び起きるんです。目覚ましを抱いて寝て、カチッ、ピタッと」

 全体練習後、寮から学校まで約3kmの山道を、1年生は全力で走って寮に戻る。最後の3人は〝ベベスリー〟(ベベは関西弁で最下位の意)と呼ばれ、先輩の〝パシリ〟(使い走り)として「おい、飲み物買って来い」となるからだ。

「これで帰りが遅れると、共用の台所や洗い場が混んで調理と洗濯ができず、睡眠時間がどんどん削られる。1年生は、寝る時間を確保するために毎日競争を強いられるんです。

 試合のときだけは、先輩のプレッシャーから解放されて、何より『これだけやって負けるわけがない』と思っていました。5万人の観客より一人の先輩の方が怖かったですもん。他の高校はガチガチに緊張してますから、それが強さにつながっていたんでしょうね」