スポーツ

爆笑!ああ、体育会の青春
先輩から人生の「理不尽」を学んだ日々

明大ラグビー部・PL学園野球部ほか
あの頃には戻りたくないけど、なぜか語りたい

2012年02月17日(金) 週刊現代
週刊現代

 監督や部長がいなくなると始まる先輩たちの愛のムチ。今日は来そうだな。嫌な予感はたいてい的中する。どこまでもいつまでも終わらない「絞り」。あの頃に比べれば会社なんて屁でもない。先輩に感謝!

死ぬかと思った

「なにしろ、高校生なのに授業に全く出ない。多摩川沿いにある梅木(恒明)監督の家に全員寝泊まりして、河川敷で朝の5時から練習。その後『学校行くぞ』って言われて、10km離れた学校まで走っていく。着いたら朝礼だけ出て『はい今日は八幡山!』って、また八幡山にある明治大学のグラウンドへ10km走る。これが日常でしたからね。

 東海大学であった練習試合では、45km離れたグラウンドまで走りました。朝出発して、着いたのが午後3時半。道中、水の入ったヤカンをずっと持って走ってる奴がいて『俺、もうダメだぁ』なんて言ってる。水なんか、どこにでもあるのに(笑)。7時間走りっぱなしで試合なんて、さすがに負けますよ」

松尾氏「目黒では、ラグビー部にだけは不良も直立不動だった」

 日本ラグビー界を牽引してきた松尾雄治氏は、目黒高校、明治大学、新日鐵釜石とラグビー一筋に生きた生粋のラガーマンだ。その松尾氏でさえ「死ぬかと思った」と話す'70年代・黄金期の目黒高校ラグビー部は、壮絶の一語に尽きる。

「怪我をしても、病院に行ったらすぐに出てきて、ギプスをしたまま片足で走る。何しろ監督が『戸塚ヨットスクールは甘い!』って言ってましたから。ついていけない奴は3日で逃げます。合宿もすごくて、大分県にある監督の実家近くの自衛隊基地に、全員2ヵ月泊まりこんで練習です。基地から線路を辿って逃げた奴もいました。それでも誰も文句は言えない。子どもを預けるとき、親が『何があっても学校・監督の責任ではない』という誓約書を提出していますから」

 最も恐ろしいのが、タックルの練習だ。人間同士でやると靱帯断裂など怪我の恐れがあるため、練習時は普通タックルバッグを使う。しかし目黒高校はいつもガチンコだった。

「(人間相手の)生タックルばかり、しかもわざと砂利道の上で練習させる。全身血まみれですよ。まわりの生徒がいつも『大丈夫か』と気を遣ってくれた。

 高校生なのに一日7~8時間ラグビーですからね。夜中の1時から、先生の車を多摩川の河川敷に入れて、ヘッドライトを頼りに練習したこともあった。風呂にも入らず泥だらけで寝て、朝起きて膝を曲げたらバリバリ泥が剥げる。布団も血だらけ。リンパ腺はいつも腫れていました」

 毎日の練習がこれだけハードだと、もはや試合の日など息抜きにすぎない。

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