ドイツ
「子供」より「子ども」が正しい!?差別用語狩りより、美しい日本語を残していくことに知恵を絞るべき
英語では「ファイアーマン(消防士)」ではなく「ファイヤーファイター」と呼ぶ。〔PHOTO〕gettyimages

 以前、ある学校で「子育て」に関しての講演をしたとき、レジュメに「子供」という言葉を書いたら、「子ども」に変えてほしいと言われた。「供」という字は従者などといった付き従う人間を指すので、ときに嫌がる保護者がいるという説明を聞いて、びっくり!

 そんなことに尖がる親が本当にいるのかどうかわからないが、いるとすれば碌な親ではないだろう。他にも、あらゆるところで不毛なイチャモンを付けているに違いない。だいたい、文字面の感じは「子ども」よりも「子供」の方がすっきりしている。

 アメリカで80年代に発祥したポリティカル・コレクトネスというのは、職業、性別、文化、人種、民族、宗教、障害、年齢、婚姻状況などによる社会的な差別や偏見をなくすため、公平な表現を求めた動きだ。それによって日本でも多くの言葉が闇に葬られたが、「子供」に異議を唱える理由は未だにわからない。

 英語では、職業で最後にマンの付く言葉は、「ファイアーマン(消防士)」、「ビジネスマン」などと多いが、ポリティカル・コレクトネスによれば、これは差別で、今はそれぞれ「ファイヤーファイター」、「ビジネスパーソン」だそうだ。だから、かつて両手を突き出して空を飛んだ人も、最近「スーパーパーソン」に改名された(というのはウソ)。

 洗濯機や冷蔵庫のコマーシャルに女性だけを起用するのもまずい。「主婦」役が必ず女性だと、これも差別なのだ。ということは、主婦という職業が差別されていることに他ならない。しかし、男が洗濯機を回したからといって、いったい何が変わるのだろう?!

 また、たとえば病院のパンフレットは、一番お給料の高そうな職、つまり医者のモデルには黒人の女性を起用し、一番お給料の安そうな職、つまり看護師(この言葉も看護婦が差別用語だからということで作られた言葉だ)には屈強な白人の男性、そして、患者は多種多様な肌の色の大人やら子供を混ぜて作る。差別と言われる可能性を限りなく小さくしていくと、そういうキャスティングになるらしい。しかし、これも私の目には、「アメリカにはちゃんと人種差別がありますよ!」と念を押しているように見える。

 身体の障害を指す言葉は、すべてほとんど書きかえられた。a blind manは、a visually challenged person、a deaf manは、a hearng-impaired personというそうだ。

 わからないのは、「男は女より賢い」と言うと、差別発言だとして槍玉に挙がる(以前、これに類したことを言って辞任に追いやられたハーバード大学の総長がいた)が、「女性は男性よりも賢い」と言っても何も起こらないことだ。確かにドイツのメルケル首相を見ていると、女性は男性より賢いと思えてくるが、ならば、真実を言えば非難されないのかというと、そうでもない。「黒人の唇は分厚い」と言うと絶体絶命になる。人種の特徴のいったい何が悪いのか? 私は、「日本人は足が短い」と言われても、別に差別だとは思わない。

 さて、「子供」の例でも明らかなように、アメリカに次いでポリティカル・コレクトネスが大手を振っているのが、日本だ。

 日本には、もう「肌色」という色もないそうだ。黒人の肌はいわゆる肌色ではないから差別用語だというが、これでは、いわゆる肌色が褐色の肌よりも良いみたいだ。そんなことを考える日本人男性は、一度ドイツに来て、黒人男性のモテ方を見れば、考えが変わるに違いない(ひょっとすると黒人も差別用語か?)。

 また、「乞食」も「浮浪者」も全部だめ。では、何と呼ぶかというと、「ホームレス」。何のことはない、英語にしただけだ。これで段ボールの住人のプライドが満たされるわけでもないだろう。ちなみに「タコ部屋」は、「窮屈な作業員宿舎」だとか。「タコ部屋」は、美化せずに「タコ部屋」でいいと思う。改良が必要なのは言葉ではなく、労働条件。

 身体障害に関する言葉に神経質なのは、もちろん日本もアメリカと同じ。うっかり原稿に「つんぼ桟敷」と書くと、校閲係の人がちゃんと「蚊帳の外?」などと訂正してくれる。「めくら滅法」もそうだ。これらの言葉をパソコンで書いても、今のパソコンはもう漢字変換しない。ところが、まだ「耄碌」や「デブ」や「バカ」は差別されず健在。でも、なぜこれは差別用語にならないのだろう?

 さて、2007年には、日本魚類学界が魚名を大々的に改定した。以来、「セムシイタチウオ」は「セダカイタチウオ」、「メクラアナゴ」は「アサバホラアナゴ」、「バカジャコ」は「リュウキュウキビナゴ」というらしい。もちろん、この改名が魚に対する配慮ではなく、そういう障害を持った人間に対する配慮であることはわかるが、せめてバカジャコぐらいは残してほしかった。

 さて、ポリティカル・コレクトネスの影響はもちろんドイツにも及んでいる。「スチュワーデス」は「飛行接客係」に、「エスキモー」は「イヌイット」に、「黒人」は「色の付いた人」に変わったが、魚の名前まで変えた話は聞かない。メディアでの規制の仕方も、日本ほど徹底的ではない。

 本来、ドイツ語は英語と違い、同じ意味でも男性と女性で単語が違う。たとえば「友達」という言葉なら「男友達」、「女友達」、「販売員」なら「男の販売員」、「女の販売員」の2種類があり、常に雌雄の別が明確だ。中性の「友達」や「販売員」という言葉は存在しない。だからだと思うが、未だに「主婦」も「掃除婦」も健在。いざとなったら、その対である「主夫」や「掃除夫」という言葉を持ち出せるからだろう。すべてはっきり定義しなくては気の済まないドイツ人らしい言語だ。

マッチに敬語を使う?!

 さて、私が日本で提言したいのは、差別用語狩りよりも、まともに言葉を使うことのほうだ。日本語が乱れているというのは昔から言われていることだが、最近、敬語の使い方の間違いがとりわけ目に付く。敬語が家庭で死後になってしまったからか、それとも、ゆとり教育のせいで"頭の不自由な人"が増えたのか・・・?

 飛行場で荷物を預けるとき、「マッチなど危険物は入っていらっしゃいませんか?」と聞かれると、なんでマッチに敬語を使うの!とがっくり来るが、この間違いにはしょっちゅう出くわす。「明日、予定は入っていらっしゃいませんか?」とか。

 もう1つ気になるのは、自分の親のことを話すとき、「お父さん」、「お母さん」と言う人。友達同士の会話ならともかく、その他の場では「父」、「母」という言葉を使ってほしい。日本語のとても上手なドイツ人学生と日本語で話していたとき、彼が「私のお母さんが」と言ったので、「あなたほど日本語が上手な人が"お母さん"というのはおかしいわ。自分のお母さんのことを話すときは"母"でしょう」と注意すると、"初めて聞きました"みたいなキョトンとした顔をした。

 そういえば、有名なスポーツ選手やスターと言われる人たちが、軒並みインタビューで「お母さん」と言っているくらいだから、この学生が「母」の使い方を知らなかったのは無理のないことかもしれない。しかし、こういう大切なことこそ、外国人相手の日本語の教師はちゃんと教えるべきだと思う。

 さて、この優秀な学生も、敬語はときどき間違う。先日、会う約束をしたら、メールに「とてもお楽しみにしています」と書いてあったので笑ってしまった。まあ、外国人だから笑って済ませられるが、れっきとした日本人の大人が、これと似たような間違いを犯すのは見逃せない。電話で出た娘さんにお母さんへの伝言を頼むと、「はい、お伝えしておきます」。あるいは、「車にご注意してください」、「傘はお持ちしていますか?」など。

 敬語とは関係がないが、「暑いです」、「楽しいです」、「おいしいです」など、形容詞の終止形に「です」をくっつける言い方も、気になってしようがない。これが正しいなら、「暑いだ」も、「おいしいだ」も正しくなってしまう。しかし、「おいしいです」、「楽しかったです」はすでにほとんどの人が使っているし、外国人用の日本語の教科書にも「日本語を勉強するのは楽しいです」などという例文が載っているので、もう、正しい日本語になってしまったのかもしれない。非常に残念だ。

 正しい日本語を聞くのは、とても心地よい。特に、敬語は西洋の言葉にないだけに、表現の美しさ、繊細さが際立つ。敬語が正しく使ってある文章は、格式ばった手紙も優しい会話も、どちらも美しく、どちらも格調高い。日本語はなんと優雅で高度な言葉なのだろうと思う。

 ただ、そういう優雅な日本語を実生活で聞ける機会は減っている。日本人はますます話下手になり、ケータイ電話で、符牒のような日本語と絵文字ばかり送信している。この調子では、ゆくゆく美しい日本語は消えていくのかもしれないと思うと、とても悲しい。

 美しい日本語を残していくためには、いったい何をすればいいのだろう。差別用語狩りに熱心な人がこちらのほうにも知恵を絞ってくれることを、心より願ってやまない。
 

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