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佐々木俊尚が5人の若者に迫る『21世紀の生き方』第4回「ソーシャルメディアがもたらすweak tie というネットワーク」

第3回はこちらをご覧ください。

ソーシャル断捨離のすすめ

安藤: ちょっとつながる話かどうかわからないんですが、私は最近「ソーシャル断捨離」というようなことを言っていて、元々情報の断捨離としてテレビも家にないですし、新聞も読んでいなくて、自分で本を読んだり、最近は有料メルマガを読んで情報をつかみ取っている感じなんです。

 たとえばFacebookの友人もリアルで親しい友人に限定するとか、わかりやすい例でいうとTwitterのフォローも100人ちょっとまで減らして、その100人についてはすべてのタイムラインを読むんですが、ブログもむやみに読者登録はせずに本当に読みたいものだけをちゃんと読み続けるようにしています。

 そのつながりというのは、たとえば私はTwitterでいろいろな人とつながっていると、「リアルの生活でも毎日飲み歩いたり、お友達もたくさんいるんじゃないですか?」と聞かれるんですが、実際は不特定多数の人たちとつながることで、友人づきあいというのは減ったんですよ。

 本当に自分にとって大事な片手で数えれば足りる程度の友人と、本当に濃い密度でトライブのようにつながって、あとの人たちはFacebookやTwitterで何をやっているのかを知る、という感じで、二段階の構造ができています。だから、ソーシャル断捨離というのは、極力人とのつながりの拡大を求めずに限定していくということなんです。

佐々木: ああ、仲間と部屋の片づけをやるわけではなくて(笑)、人間関係を断捨離するという意味なんですね。

安藤: 極力シンプルにして、よけいな情報を入れないことなんです。

大石: 僕は、会社などでは崩壊している共同体がネットのなかで再構成されてムラを形作るのであれば、それは元の木阿弥というか、あまり従来と変わらないな、と思っていて、僕はそういう同調圧力が高いようなムラ的な中間共同体とは馴染めないので、ネットでもまったくダメですね。ネットでも人とつるんだりすることはまったくしないんですよ。

佐々木: 大石さんにとって、仲間のような交友関係はないということですか?

大石: ないですね。すごくピンポイントで、「あ、この人おもしろいな」と思ったら一対一でお話をして、ザッツオールですね。その先大勢でつるんだり共同体を形成するようになれば、そこには入りません。

佐々木: それはおもしろい考え方ですね。僕は最近、ソーシャルメディアの方向性には二つあると言っていて、場を作るような広場型のソーシャルメディアと、フィード型のソーシャルメディアがある、と。広場型というのは、mixiのコミュニティとか2ちゃんねるのような、書き込む場所があってみんなが集まるという形でコミュニティ的なものです。

 ところが、Twitterはそういうコアになる場がないわけで、同じ話題を共有するハッシュタグのような仕組みはあるけれど、個人と個人がつながることで網の目のようにラインが走っていてそこに情報が流れている。そこには中心となる場がないわけですね。

 人間関係というのも、そういう2種類があり得るんじゃないか。みんなで集まって何かをやるというのではなくて、単に個人と個人がつながってそれが緩く網の目のように広がっていくことによって、コミュニティとは違った形で社会とつながるというような。

大石: 結果的には社会とつながっていて人脈も形成されるんだけれど、何かの枠組みがある人脈ではなくて、もっと有機的でいろいろな網の目になっているようなイメージですね。よくネットワークについて弱い紐帯=weak tieと強い紐帯=strong tieというふうにいわれていますが、ネットというのはweak tieというそのままかな、と思います。僕も人脈はweak tie中心ですね。

佐々木: ネットはそういう弱い紐帯を維持するのに非常に便利なところがあって、今までだと関係性が薄いと年賀状だけのやりとりになってしまって、tieになっていないだろう、みたいなところがありました。かといって、もっと近づけてしまうと、会社の同僚みたいにいっしょに晩飯を食いに行くという感じになってちょっと面倒くさい。

 強くもなく薄くなりすぎもせずという、そういう中間地点をとるアーキテクチャーは日本にはあまりなかったんですけど、これはもうTwitterとかFacebookの登場で場が維持しやすくなったということはあると思います。その辺、phaさんはどうですか?

pha: 僕は仲間も大事だし、仲間以外の弱い紐帯も大事だと思うんですが、たとえば友達が住むところがないからホームレスになりそうだ、というときに、家に住ませることはできるけれど、Twitterでつながっているだけの全然知らない人を住ませるのはなかなか難しいと思うんです。

 でも、そんなふうに自分が自分の知っている範囲の人を助けたりするというので救われる部分もあるし、インターネットの弱い紐帯というか、少しずつの力も集めればけっこうな力になり得るんじゃないかと思っているんです。

 僕が昔風邪で弱っていたときに、それをTwitterに書いたら、けっこう500円くらい振り込んでくれる人がいたりとかしまして(笑)、振込人の名前が「お大事に」となっていて、誰だかわからないんです。

佐々木: すごいですね、それは。世の中は善意に溢れているという(笑)。

pha: そうなんです。500円でももし10人集まったら5000円ですし、100人集まれば50000円になりますから、困った人を見たときに500円とか1000円くらいなら出してもいいという人もけっこう多いと思うんです。今まではそれを集める手段がなかったけれど、Twitterの時代になったらそれができると思うんです。

 玉置さんがさっき言っていた、「マネー的にもソーシャル的にもリッチじゃない人はどうしたらいいのか」というのは、そういうふうに困っている人がいたら自分のものをある程度分け与えるということをみんながやればいいな、と思いますので、僕はたまに困っている人を見て銀行口座がわかれば500円くらいでも振り込むようにしているんです。

 そういう習慣が広まって定着して、みんなが自分より困っている人を見て500円くらい振り込むようになったらけっこうな額になるし、お金がある人からない人にお金が流れるわけで、累進課税とかベーシックインカムみたいなものを、政府がまとめてやるんではなくて、マイクロ単位で個人の間で実現するような形になるんじゃないかと思います。

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