特別読み物 大切に育てたから、いまがある
この親にしてこのプロ野球選手
おかわりくん 栗原 唐川 今江 館山 平野 東出

週刊現代 プロフィール

 父の言葉通り、東出は一切の妥協をしなかった。小中学校時代、早朝練習に参加するには5時、6時に起きる必要があった。それでも必ず自分ひとりで起きた。

 こんな話がある。

 中学の頃、東出は、学年350人中で常に10番以内の成績を収めていた。しかし家族は誰も、家で勉強する姿を見たことがない。

「ある日父母会で苦情を言われたんです。授業中、わからない点について輝裕が先生を質問攻めにして、授業がストップして迷惑だとね。我が子ながら尊敬しましたよ」(光氏)

息子のために会社を辞めた

 全国区の強豪、敦賀気比高に進んだのも、小学生時代にテレビ中継で見た敦賀気比の縦縞のユニフォームに憧れ、「絶対にあの高校に行く」と決めていたからだ。入部のためのセレクションで、遠投、50m走など全種目でトップの成績をあげた息子の勇姿に、父・光氏も一大決心を下す。

「気比高校に行く輝裕の試合を、3年間すべて見るために、勤めていた会社を辞めて独立したんです」

 実際、光氏は長男の追っかけとなり、地方遠征も含め、全試合を観戦し続けた。

「いま考えれば、妻と子供4人を抱えて、よく会社を辞められたもんですよ」

 そう笑う光氏から、後悔は微塵も感じられない。

「生活のために個人会社を作りましたが、当時の私に、輝裕がプロに入るなんて確証があったわけじゃない。でも、今となってはよかった。私の会社もなんとか続いていますしね」

 父の「熱」は、間違いなく息子に伝わっている。プロ入りは、あくまで結果論に過ぎない。

 '11年のパ・リーグ最優秀中継ぎ投手に輝いたオリックスのセットアッパー・平野佳寿(27歳)の父・紹寿氏は、結婚する前から「子供は誉めて伸ばす」ことを、心に決めていたという。

「悪いところは言わず、必ずいいところを見つけて、そちらを言うようにしていた。野球に限らず常にね」(紹寿氏)

 中学ではエースにはなれず、鳥羽高校2年のときには腰を痛め、夏の甲子園ではボールボーイとしてチームの裏方に回った。怪我から復帰した頃には、すでにエースナンバーは別の選手に移っていた。

 それでも平野は腐らない。「自信家に育ったから」と、母親、薫さんは言う。

 中学3年のとき、勧誘を受けた地元・京都の強豪、久御山高の練習に参加したときのことだ。帰り際監督に「よく考えて、決めてください」と言われた。